「これは、これは…っ!」
「なんつー、贅沢…っ!」
二十帖ぐらいはありそうな、広い広い旅館の玄関を抜けると、そこは何故か屋外。
漢字で書くと『凵』…凸凹の部首・うけばこのような形の廊下?縁側?だった。
その廊下の底辺部分に、玄関があった母屋、両側にそれぞれ独立した離れが4軒ずつ。
どうやら、中庭を『凵』の字型の回廊が囲み、そこに家々が立ち並んでいる…
フィジーだかモルディブだかの、高級リゾート水上コテージ群、みたいな感じだろうか。
「これぞまさに…ハネムーン!?」
「…の、純和風!いやはや凄ぇ!」
回廊の足元には、仄かなフットライト。その上を覆う屋根には、等間隔に吊灯籠。
磨き込まれた廊下に反射する、文字通りに燈色の光が、日本庭園を浮かび上がらせる。
まるで、さっきまで居た稲荷神社の神域と、繋がっているようにも錯覚してしまう。
「くっ、黒尾さんの上司様に、御礼を…」
「み、土産、奮発しねぇと…マズいな。」
二人があてがわれたのは、玄関を出て右手の一番手前。
同じ廊下の突き当りに、ウチとは別の一組が滞在中。左手側の最奥が、露天風呂。
全7部屋の客室(家?)の内、今宵は二組のみが宿泊しているそうだ。
「おっ、おじゃま、しますっ…」
「おっ、おせわに、なります…」
精巧な彫り物のしてある木札に付いた鍵を、離れの玄関扉に差し込み、引き戸を開ける。
下駄箱付玄関、廊下、小さな流し台。洗面脱衣所に風呂、トイレに納戸。
押入と床の間付きの和室十帖、その奥に、テーブルとイスの置かれた、三帖の板間。
「ほぼほぼ、木造平家建一軒分です…っ!」
「おいおいおい、俺んちより広いぞ…っ!」
「老後は、こんなお家に…」
「二人で棲む…目標だな!」
十年どころか三十年後の計画を、ハイタッチの勢いで即決した二人。
貴重な参考資料にと、部屋中の写真を撮り終った頃を見計らったかのように、
お着物をお召しの仲居さんが玄関チャイムを押し、お茶と夕食の準備を音もなく開始。
夕食は、接待の末席から眺めたことしかないような、会席料理というやつ、だろうか。
工芸品のような品々が、ちょこちょこと美しい皿に乗って、何やかんや云々。
ひとつひとつ説明して頂いても全く覚えられず、その都度、正座して傾聴するのみ。
ただただ、地元の食材に合わせた、地酒の旨さといったら!
「旅先では、その土地の御食事!そして…」
「地酒を頂く…これに尽きるってことだ!」
上げ膳据え膳の歓待に慣れず、恐縮しまくり片付けのお手伝いをしてしまう二人に、
何人もの仲居さんどころか、板前さん達も訪れ、オマケ?お祝い?をたくさん下さった。
「接待は、こっちがするもんであって…」
「して頂くものでは、ない…でしたね。」
「今の俺達には、分不相応過ぎたな。」
「まるで賓客か、宴の主役扱いです。」
(もしかして、上司達はマジで…っ)
(祝膳だと、お伝えしたんじゃ…っ)
部屋を辞する際、皆々様が、この度は誠におめでとうございます~と微笑んだことを、
揃って聞こえなかったフリをしつつ、深々とお辞儀をして玄関先で送り出した二人は、
互いに目を合わせないまま、入浴までいつもの習慣…酔い覚まし読書タイムを満喫。
(こういう時間を、尊重し合えるのが…)
(居心地の良さ…老夫婦感、ですよね。)
*****
小一時間ほどゴロゴロしてから、二人は露天風呂のある家へ向かった。
早朝を除き、いつでも自由に入れる大浴場ではなく、家(宿泊グループ)毎の完全予約制。
最大でも7組しかいないために可能な、2時間独占スタイルという、贅沢仕様。
ウチ以外のもう一組は、既に夕食前、独占タイムを味わったそうなので、
時間を気にせずのんびりお寛ぎ下さいませ、とのことだった。
「焦るなっ、絶対、走るなよ?」
「滑ったら、アウトですよっ!」
室内の洗い場で早々に身体を清め、内湯には目もくれず、すぐさま外へ。
そこには、茅葺の庇が半分ほど掛かった、岩造りの大きな大きな露天風呂。
互いを牽制するように、そろりと近付き、ピッチリ丁寧にタオルを畳んで岩の端へ。
ピンと伸ばした足先から、ゆ~っくり、ゆ~っくり、体をお湯に鎮め、腰を付けて。
両手を座ったお尻の脇に降ろし、今度はお臍から吊り上げるように、腿を浮かせ…
最後にそっと、頭をタオルに乗せて全身の力を抜き、手足もふわぁ~っと揺蕩わせる。
温かいお湯に、まずは無言でじわじわ浸り。
5つ数えて、深呼吸。そして…
「ぷっはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~っ!」
「染み渡るぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~っ!」
昇り始めたお月様に向かって、大絶叫。
お湯の温かさが、何だか喉と目の奥までじわじわあっためて…感、無、量っっっ。
しばらくそのまま、二人は深呼吸だけに専念し、お月様をじっくり眺めた。
「何年振り、だろうな。お前とこうして…」
「森然大浴場以来…十年以上、ですよね。」
高校時代、梟谷グループの合同合宿。
同じ中間管理職として雑務に追われていた二人は、役得として深夜の森然大浴場を独占。
風呂場で考えすぎて胃を痛めていた赤葦に、黒尾が教えたのが、飯テロコンビ直伝の技。
湯船に浸かり、視点を上に…客観視。できるだけしょーもない妄想に浸るべし、と。
教わった日から、赤葦は毎晩この『ぷっは~~~~』の技を実践していたが、
勿論、四肢を伸ばして浮かべられるような大浴場など、そうそう入る機会はない。
一年先に卒業した黒尾と共に…となると、風呂の後、流星群を観察した日が最後だ。
「懐かしい、ようでもあり…」
「ついこないだ、みてぇな…」
少しずつ、夜空に目が慣れてくる。
灯籠と月明りで霞んでいた星々が、瞬きする度に視界の中にどんどん生まれ出てくる。
都内よりはずっと、森然の星は多かった。でも、ここは比較にならない程…星の海だ。
流星でなくとも、これだけの星々に囲まれていたら、巧い言葉なんて出て来ない。
ただただ、思うがままに。飾り気のない言葉が、ぽつりぽつり零れ落ちてくるだけ。
「大浴場と、星空…いっぺんに叶ったな。」
叶った?というべきかは、わかんねぇけど。
あの頃『もし万が一』って妄想していたことも、現実になっちまったよな。
まさか本当に、仕事上の繋がりで、俺とお前が『袖すり合う関係』になっていようとは。
高校時代は、たった2年。でも今、この繋がりは、既に…社会人経験年数とほぼ同じ。
毎週末、呑んで寝落ちして、翌朝一緒に朝飯食って。袖すり合う、どころじゃねぇよ。
「お前の胃袋だけは、掴んだ自信はある。」
俺のことは、味噌汁マスターと呼んでくれたっていいんだぜ?
今日も、お出汁と田舎味噌ばっかり、あちこちで何個も買っちまったよ。
黒尾はそう微かに笑うと、浮かべた腰を下ろして半身浴に。
赤葦も同じように座ると、星空を見上げながら、ぽつりぽつり。
「俺の願い?は…叶ってないんですよね。」
俺が十年以上かけて妄想し続けたのは、毎週金曜晩、黒尾さんに何を御馳走になるか…
行きたいお店リスト更新を、日々続けているんですよ、現在進行形で。
でも実際は、宇内さんちで宅飲み。二人で外食サシ飲みは、一度もありませんからね。
あ、訂正します。今夜が初めて…俺のリストには『豪華祝膳』なんてなかったですが。
「シメのラーメン。未達成の願いですよ?」
まぁ、その…お味噌汁の香りで目覚める幸せは、身に沁みていると言いますか。
お味噌汁に限って言えば、俺の胃袋はガッツリ掴まれてしまったのは、否定できません。
今日買った、山菜セット。これを具にするのはやめてくださいね?と、赤葦は苦笑い。
そして、もずくと同様、ズルズルしすぎるのは、やはり不得手なので…と囁いた。
「ズルズルしすぎは…ダメ、だろうな。」
「そろそろ、頃合い…だと、思います。」
何の話、だろうか。
わかりきったことは、言わない。
ヘタレでゴメンな、と黒尾は謝罪してから、遠くを見つめて赤葦に問い掛けた。
「十年後…どうなってると思う?」
「今のまま…は、ありえません。」
これはヘソマガリでも何でもなく、と赤葦は断ってから、淡々と手元を見つめて答えた。
「おそらく来年には、配置転換されます。」
メテオアタック連載開始から、ずっと俺が宇内さんの担当編集でしたが、
劇場版も無事に終え、物語も新章突入。そろそろ佳境も見えつつあるところです。
俺という視点ではない、新たな風を吹き込むためにも、担当変更が出版社の通例です。
宿願叶って文芸部へ行けるかどうかは、全くわかりませんが、
俺が『メテオアタック担当編集者』として、各団体との『窓口』であることは、もう…
「協会とのコラボも、後任に引継ですね。」
たとえ俺が宇内さんの担当であり続けても、メテオアタックが永遠に続くわけじゃない。
連載作品は、いつか必ず完結する…させるべきもの、ですから。
黒尾さんとの『仕事上の繋がり』は、長くてあと1~2年といったとこでしょうね。
「十年後は、現段階では…見えません。」
遠く遠く。星々のさらに向こうを見据えるように、赤葦はギュっと目を引き絞った。
黒尾はあえて軽い口調で、やっぱそうだよな~と笑ってから、静かに言葉を繋いだ。
「俺の方も、似たり寄ったりの状況だよ。」
五輪の最前線に携わること、二度。俺達妖怪世代も、長くて次の五輪が最後だろう。
五輪だけじゃなくて、プロとしての生活も、遅かれ早かれ…近々終わるんだ。
妖怪世代達を繋ぐっていう俺の仕事も、ぼちぼちキリがいい頃合いなんだよな。
まだ若手のつもりだったが、俺の下も続々入って来てるし、育てる側になるはずだ。
今までみたいに、方々を駆けずり回ることはない…デスクワーク中心になるだろうな。
「コラボの担当窓口も、そろそろ卒業だ。」
だが、妖怪世代全員が引退しても、別の形で『繋ぐ』仕事が、新たに生まれてくる。
プロでいられるのは、長い人生のうち、ごく数年。引退後の人生の方がず~っと長ぇ。
プロから、その次の人生のステージへ。妖怪達を繋いでいかなきゃなぁ~って。
「今とは違う十年後を…見つけねぇと。」
高校時代、朧げに妄想していた十年後。
奇しくも実現し、繋がり続けてきたが、
妄想や偶然では、次の十年後は…ない。
「十年後の俺達の姿…星に、願いますか?」
星の瞬きに消えそうな程の小さな声で、赤葦が黒尾に尋ねた。
無意識の内に硬く握り締めていた赤葦の手を、黒尾はお湯の中でそっと包み込むと、
しっかりと腕を添えて立ち上がり、ゆっくりお湯から引き上げた。
「曖昧な願いじゃなく、言葉で…伝える。」
黒尾ははっきりと星々に告げると、いろいろ冷えねぇうちに戻ろうぜと、
小指だけを柔らかく絡めて、赤葦を部屋へといざなった。
*****