割鍋綴蓋①

「煮えません…ね。」
「まだまだ…だな。」


今週は外で飲みませんか?と、週の半ばに珍しく赤葦が提案してきた。
バレー協会と宇内先生が頻繁にコラボするようになってから、ほぼ毎週末に打合せ兼飲み会。
宇内家リビングで真面目に仕事をした後、そのままそこで宅飲みコースだが、
打ち合わせネタのない時でも、なんやかんや『直帰』の口実を作り、集合…
毎週金曜夜は宇内家宅飲み(そのまま終電突破&お泊まり)が、三人の定番になっていた。

だが今週は、宇内先生のやんごとなき事情(ド修羅場)により、宅飲みはやむなく中止。
急にぽっかり空いた時間をどうするか、黒尾が考え始めるよりも先に、
中止を伝えてきた直後、赤葦から二人だけで飲まないかとの誘いを受け、即時快諾。
大衆居酒屋ではなく、接待で使う小料理屋(全個室)を、その場で予約した。


「こんないい所…わざわざすみません。」
「今日は静かに飲みてぇ気分…だよな?」
「黒尾さん、実は結構…モテますよね?」
「仕事相手…オッサンにはモテモテだ。」

パチリと片目を閉じながら、黒尾は慣れた手つきで焼酎の水割りを作った。
宅飲み時は、赤葦が飲み物、黒尾が食べ物、宇内先生がおつまみを準備するが、
体育会系財団法人の団体職員(若手)ともなれば、お酒のマナーは必須科目。
濃すぎず薄すぎず、薫りを愉しめる絶妙な塩梅で、赤葦好みのグラスを完成させた。

「御見事。飲み過ぎそうです。」
「お褒めに与り、光栄の至り。」

お通しは、イカの煮物。それから、アボカドのわさび醤油和え冷奴。
濃厚な味わいが、すっきりした芋焼酎に良く合い、思わず頬が緩んでしまう。
黙って舌鼓を打ちながら、あっという間にお通しと一杯目を愉しみ、ホッと一息。


さて。そろそろ、口も緩めないと。
赤葦が大きく二息目を吸い、腹の中から吐き出す前に、本日のメイン…鶏の水炊き鍋が到着した。

「水からじっくり煮るのが、博多風。」
「お出汁がきいて、美味しそうです。」

さすがに『しっかりとしたお出汁』は、あらかじめとってあるだろう。
しかし、ここは食べ放題のチェーン店ではなく、隠れ家風の上品な小料理屋個室。
賓客をもてなし『じっくりとしたお話し』を愉しむための、静かな場…
歓談の邪魔をしないよう、卓上コンロの火は極力弱めに設定されていた。

ことこと?くつくつ?
お鍋の煮える音は、まだ全然聞こえてこない。
下茹でしてある鶏肉以外、お野菜はフレッシュそのもの、まだ生のままだ。

「こりゃぁ、時間がかかりそうだな。」
「ですね。蓋、閉めときましょうか。」

じっと眺めていても、小さな泡どころか、お出汁が揺らめきすらしない。
赤葦が土鍋の蓋を手に取ろうとすると、黒尾は菜箸を取って赤葦を一旦止め、
エノキの束を白菜の下へ、花切りされたシイタケを豆腐の影に隠してから、蓋を被せた。
どちらも、赤葦が苦手なキノコ類。こういうちょっとした気配りは、さすがの…敏腕営業さん。

「やっぱり黒尾さん…かなりモテるでしょう?」
「だとしたら、毎週末…宅飲みしてねぇだろ。」
「鍋が煮えるまで、場と花を持たせて下さい。」
「それができたら、今頃ホストで大モテだな。」

蓋を半分開け、中をチラリ。
あったかい湯気は、まだ漏れ出て来なかった。


「もう煮えたか?まだ煮えないのか…?」
「『見つめる鍋は煮えない』…ですね。」

焼き枝豆を肴に、二杯目の焼酎を傾ける。
何だかんだいいつつ、この場にドンピシャな話題を振ってきた黒尾に、赤葦はコクリと頷いた。

何もせず、ただじーっと鍋を見つめていても、なかなか鍋は煮えない。
また、早く煮えないかな?と、何度も蓋を取って確認していると、余計に鍋は煮えにくい。
ただ待っている時間は長く感じられる。あまり注意し過ぎていても、かえって結果は良くない。
しばらくは放って置く時間が必要…そういった状況を表す、西洋のことわざだ。

「俺達の状況が、今まさにコレ…だな。」
「俺達だけとは、限りませんけど…ね。」

おしぼりの中に微かな二息目を零し、口元を少し緩めてから拭うと、赤葦は鍋から視線を外した。

「宇内さんが、グズグズに煮詰まっちゃって…」


  ***

   俺が凄いから、漫画が売れてるんじゃない。
   赤葦さん達にお膳立てしてもらってるだけ。
   黒尾さん達の強力なバックアップもあるし、
   妖怪世代達の人気に、乗っかってるだけだ。

「俺は、あの頃と…変わってない。」

   ほんのちょっと、はやく高く飛べただけ。
   背も低いし、センスがあるわけでもない。
   みんなが必死に繋いで、繋いで、繋いで。
   はい、どうぞ!と、セットしてもらって。
   俺は、目の前に来たボールを、打つだけ…

「俺が…だなんて、烏滸がましくて言えない。」

  ***


「何とまぁ、謙虚というか…耳が痛ぇよな。」
「えぇ。どこかで聞いたような…耳鳴りが。」

赤葦は黒尾の視線と耳鳴り?から逃れるように、鍋の蓋を開けて中を覗き込み…チラリ。
コレがいけないとわかってはいるんですが、と苦笑いしてから、枝豆を頬張った。

「目の前に来たボールを、打つだけ…それをやりきれることが、既に凄ぇんだけどな。」
「勿論、仰る通りですが…宇内先生の思い込み?にも、一理以上のものがあるんです。」


  ***

赤葦さんや黒尾さん達の、公式な御膳立てがない『ただの俺』には…
俺個人が創っただけの作品には、飛び抜けた魅力も付加価値もない。
その証拠に、俺が趣味で開設してる個人サイトには、ほとんど誰も来ないじゃん?
何作か創作系サイトに投稿してみたけど、『大衆ウケ』には程遠い状態。
読んで頂けるだけマシ。反応して下さる奇特かつ親切な方々を、画面越しに拝み倒してるよ。

  ***


「おい。一応プロだろ?それなのに…?」
「漫画はね。趣味の創作は…小説です。」

ウチとの著作権がらみの契約上、『宇内天満』として『漫画』を公開することは不可能です。
もちろん、気軽にSNSを利用することもお控え頂いてますので、全世界に向けて大公表も無理。
昔懐かし個人サイト(検索避け必須)で、慎ましく趣味を愉しむしか、現状では方法がないんですよ。

「SNSは、簡単に評価を貰える反面、貰えねぇ時の精神的ダメージは…想像以上だな。」
「だから、SNSは極力使わない…でも、貰えた時の喜びを、既に知ってしまっている。」

それに現在、かつての個人サイト隆盛期よりはるかに便利なツールが、無料で初期装備されてます。
アナリティクスやエンゲージメントといった、解析機能…これがまた、クセモノなんです。
ありとあらゆるデータを得られる解析は、商売をするには必須のツールかもしれませんが、
趣味の個人サイトでは、無用の長物どころか、『見つめる鍋』のデメリットが、より甚大です。

「どれくらいの人が、見てくれたかな?どの作品が人気かな?…気になってしょうがねぇよな。」
「まるでお鍋の蓋を取るように、気が付くと解析ページを開けて…その度に、熱が逃げていく。」


  ***

ほらね、やっぱり。
『ただの俺』なんて、誰にも必要とされてない。
数字とグラフが、全部証明しちゃってるじゃん。

一次創作は見てもらいにくい?そうかもね。
でも俺が書いたのは、一応まだ連載中漫画の、二次創作小説なんだよ。
他の誰にも、できるだけご迷惑をかけないよう…『宇内天満先生』のね。

世間的にはモブ扱いだけど、作者としては愛着あるキャラの、漫画には描き切れなかった部分を、
自分なりにしっかり考えて、文字通り親のキモチで書いたものなんだけど…価値は、ないみたい。

  ***


「当然ながら、『見つめる鍋』にならないよう、できる限り解析タグは、外したんですが。」
「それでも、有料のサーバを使えば、全てを外すことはできねぇ。便利すぎる故の弊害か。」

いいねやブックマーク等の『数』で、承認欲求を簡単に満たせる、SNSや投稿系サイト。
だが、簡単お手軽だからこそ、同じぐらいアッサリと『見つめる鍋』の罠に陥り、
まるで自分自身が無価値の存在だと、徐々に錯覚していくようになる…

「投稿サイトでは、作品のキャプションに『感想必須』とあったり、作品に関する語りがあると…」
「『かまってちゃん』扱いされることがある…自分で創ったことのない人には、そう見えるんだ。」
「でも、一度でも自分で何かしらを創ったことがあれば、その人の気持ちがよ~くわかります。」
「酷評や無反応の恐怖と戦いながら、よくぞ創り上げて公開した!って、褒め称えたくなるぜ。」


ことことことっ、くつくつくつっ。
内側に籠った熱を、外に居る誰かに伝えるかのように、閉じられた鍋の蓋が小さく揺れる。
蓋の穴から、少しずつ湯気が漏れてくるのを、黒尾と赤葦はしばらく黙って見つめ、
二人同時に眉間に皺を寄せ、視線を落として声を振り絞った。

「宇内先生の話…俺達にはキツいですよね。」
「あぁ…先生とは全く別の意味で、キツい。」

どんなに良いモノを創っても、公開する場所や方法が悪ければ、ほとんど見向きもされない。
工業製品も、伝統工芸も、農作物も、著作物も、それは同じ…
いかに消費者と『繋ぐ』かという、プロモーションに拠るウェイトが、実はかなり大きいのだ。

「良いモノを創れば、黙ってても売れる…そんな甘い時代は、とっくに過ぎ去りました。」
「ちゃんと場を整えて、繋ぐ努力までしねぇと…どんどん『流れて』いくだけなんだよ。」

担当編集者と、普及事業部。
どちらも表舞台に立つ作り(創り)手…『プレイヤー』ではないが、
本当に輝くもの達を、真に価値のある存在として、人々に伝え繋ぐ…『コネクター』だ。
そんなコネクターたる自分達の働き次第で、輝きが失われてしまうかもしれないのだ。

「怖ぇ…な。鍋の蓋以上に、震えちまうよ。」
「えぇ…本当に、怖くて堪らない重さです。」


視線が交わる先で、大きく揺れる重い鍋の蓋。
淵からはもう、熱く滾った出汁が泡となり、噴き零れそうになっていた。

   もうそろそろ、見つめ続けるだけじゃ…
   鍋の蓋を取らないと。

ごくわずかに奥歯を噛み締め、赤葦は自分のおしぼりを蓋の上に乗せ、開けようとした。
だが再度、黒尾は赤葦の手を止めると、自分のものもその上に重ねて、静かに蓋を開けた。

「うわっ…ちぃ!湯気っ!」
「大丈夫、ですか…っ!?」

二人の間に立ち昇る、熱い熱い湯気。
赤葦は眼鏡を白く曇らせながらも、氷だけが残ったグラスを黒尾に即座に手渡した。

「ナイスアシスト!!…さんきゅーな、赤葦。」
「いえ、こちらこそ…ありがとうございます。」

今度は黒尾が、ハンカチを赤葦に差し出して。
赤葦は眼鏡を外すと、鍋の蓋付近に視線を彷徨わせながら、微かに頬を緩めて眼鏡を拭いた。

その穏やかな表情を、何故か見ていられなくて…
黒尾は湯気に咽たフリをしつつ、菜箸を手に取って煮え滾る鍋を掻き回した。


「あー、あっ、赤葦もさ、この鍋みてぇに…噴き零れる前に、蓋を開けて籠る熱を逃がせよ?
   鍋が割れて、取り返しがつかなくならねぇよう…俺でよければ、蓋を取ってやるから。」
「おや、それは…こちらのセリフですよ。蓋で抑えつけて、鍋を限界まで滾らせてますよね?
   俺が気付いてないと思ったら、大間違いです。似た者同士ですから…バレバレですよ。」

   俺を『見つめる』だけじゃなくて
   適切なタイミングで蓋を取って下さるのなら
   俺は黒尾さんが望むまで、ずっと…
   たとえ鍋が割れても、蓋を綴じてあげますよ

「見て見ぬふりをしながら…見つめ続けます。」

そういう人が、身近に居てくれると…その人の前でなら、あなたも安心して蓋を外せるでしょう?
赤葦は自嘲するように呟くと、黒尾の器にエノキとシイタケを全部乗せ、微笑みながら手渡した。

「お前、実は…モテねぇだろ。鶏肉も入れろ。」

黒尾は朗らかに笑いながら、赤葦の器に結び昆布と春菊だけを乗せて、自信満々に差し出した。

「さすがモテモテ黒尾さん。俺の大好物です。」
「だろ~?もっと褒めてくれてもいいんだぜ?」


美味しく煮立った鍋を見つめながら、二人で黙々と食事を続ける。
会話はなくなったが、ほんわり香るお出汁の湯気みたいな、心地良い温もりが場を満たしていく。

自然と全身が緩み、頬が綻んで…
ふと脳内に浮かんだことを、二人はほぼ同時にふわりと零していた。


「お前の大好物が俺…みたいにも聞こえるな?」
「割れ鍋に綴じ蓋…どういう意味でしたっけ?」




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No.008 見つめる

2023/10/04 ETC小咄