「遅くなった!待たせちまったか?」
「いえ。俺も今、来たところです。」
『ご一緒…して頂けませんか?』
終業時間直後、電話を寄越した赤葦。折り入ってお願いしたいことがありまして…と、
珍しく困った様子を隠すことなく、挨拶もほどほどに、いきなり用件を切り出してきた。
他でもない赤葦からの、滅多にない(初めてかも?)救助要請に、
内容を聞く前から、口の形と心の中だけは『いいぜ』を待機してはいたが、
予想だにしない『お願い』に、無意識の内に微笑みながら快諾していた。
『俺でよければ…よろこんで。』
上司に呼び出された赤葦が、会議室へ向かうと、そこには上司以外にもう一人。
文芸部のオエライサンだと気付いた瞬間、答えはイエス一択になっていたが、
残念ながら文芸部への配置転換ではなく、差し出されたのは2枚のチケットだった。
「私の代わりに、行ってくれないか?」
誰もが知るベストセラー作家大先生が、趣味でバンドを組んでいるそうで、
このほど、都内のカフェバーでちょっとしたライブを開催することになったらしい。
当然、文芸部のトップ自らが直々に参内…のつもりだったが、急遽行けなくなったとか。
代打として白羽の矢が立ったのが、文芸部への転籍願を毎日出し続けている、赤葦。
コイツなら絶対に断らないだろうと、足元を見られた…とのことだった。
「お前、音楽…好きだったのか?」
「飲み食いし放題、だそうです。」
「ちなみに俺は、炭坑節も踊れねぇぞ。」
「フォークダンスもですよね?同じく。」
「もし、カラオケ行ったら…?」
「最後まで歌わない派…です。」
だから、黒尾さんをお誘いしました。
黒尾さんと二人なら、同じレベルで…
気負うことなく、楽しめそうだなと。
まさかのライブ同伴願。
赤葦以外からの誘いだったら、おそらく断っていただろうが、
同じレベルで素養ゼロかつ好奇心旺盛、そして他でもない赤葦となれば、話は別。
カフェバーとやらも初めてだし、生演奏を間近で鑑賞した経験だって一度もないし、
ライブハウス界隈?のマナーなんて、まるでわからないけれど、二人なら…面白そうだ。
とりあえず最低限、ドレスコードがないことだけは主催者さんに確認してもらい、
普段通りの格好で『お気軽に』という、意外と難易度の高い答えに二人で頭を抱え…
仕事帰りにフラっと寄ってみました風、つまり『そのまんま』で行くことにした。
(行く前から、何か…楽しい。)
自分の全く知らない世界を垣間見る、ワクワク感。
そして、明らかに似合わなそうな赤葦が、その世界に触れ、どんな反応を見せるのか。
服装や待ち合わせ等の件で、何度か電話した時にも、珍しく声が弾んでいた…
長い付き合いになるが、自分の知らない赤葦を発見できそうなことへの、妙な期待感。
(怖いもの見たさ、だったりして…!)
「素敵なエスコート、期待してますよ~?」
「待てぃっ!プレッシャー、やめてくれ!」
「あ、花束のサプライズとか、困ります。」
「お前の困り顔か。それは見ものだな~?」
「すみません。調子に乗りました。」
「その調子で、当日も楽しもうぜ!」
そう言えば、赤葦と仕事以外の用件で電話をすることも、今回が初めてだ。
高校時代も、梟谷グループ内の業務連絡はしょっちゅうしていたし、
今も週に2~3回は、コラボ窓口として打合せ。その頃とまるっきり変わってない。
知り合って十年以上経つというのに、職務以外の付き合いが、ほぼゼロとは。
(仲は、悪くねぇはず…だよな?)
もしかすると、この機に赤葦と、仕事以上の付き合いができるようになるかもしれな…
(…って、何だよ、仕事以上って。)
一体何を期待してるんだ、俺は。
あまりに『らしからぬ』イベントに、らしくなくソワッソワ浮足立ってるというか。
そもそも論として、『普段通り』の赤葦の存在そのものが、『お気軽に』とは真逆…
昔から仲も悪くないし、気が合う似た者同士だし、打合せ呑みも凄ぇ楽しいのに、
どうしても、何というか、その…一歩引く?一線を意識?してきたような気がする。
(袖すり合うのに…届かない存在?)
何となく、胃袋の裏あたりが、キュ…と。
高校時代にも感じた、ちょっぴり懐かしいノスタルジー?センチメンタル?えーっと…
ありきたりな歌詞に出てきそうな横文字しか思いつけない頭を、ぶんぶん軽く振って、
通話後も握り締めたままだったスマホを、布団の上に放り投げた。
「あー、散髪ぐらいは、して行っとくか。」
*****
「祐天寺って、寺があったんだな。」
「俺も、今回初めて知りましたよ。」
待ち合わせ場所は、会場最寄駅の祐天寺…から徒歩数分の、祐天寺。
少し考えれば当たり前の話だが、『寺』が付く駅近くには、元となった寺があるはず。
首都圏内をざっと思い返してみても、護国寺、泉岳寺、豪徳寺、国分寺、高円寺…
「お恥ずかしながら、どのお寺にも…」
「参拝したこと、ねぇ…俺も同じだ。」
ライブの開演は19時半。開場19時。
待ち合わせはすぐ傍の祐天寺境内に18時50分だったが、当然のように5分前には集合。
犬のお散歩と2組すれ違っただけで、広々とした境内には、自分達二人だけ。
藤棚のベンチに腰掛け、暮れなずむ美しい夕焼け空を、のんびり眺めて時間を潰す。

「何か、食べてくればよかったですね。」
「寺で、この景色で。煩悩だらけだな。」
「この景色、この場所…煩悩に浸っていないと、成仏しそうじゃないですか?」
「確かに、時間の流れが止まった静けさ…ここに二人で座って、何年経つよ?」
ここに来るまでずっと、らしくない妙なソワソワ感が続いていたのに、
いざ赤葦と顔を合わせ、淡い色に染まる空を眺めているだけで、ス…と凪いだ。
それは赤葦の方も同じらしく、いつもより若干早く、微かに高かった電話越しの声も、
今はいつも通り、いや、いつも以上にゆったり穏やかだ。
(これはこれで、珍しいかもな。)
高校時代も、今も。誰かに鋭くツッコミしていることが多く、口調もややキツめな印象。
それが今は、まるでない…もしかすると、この雰囲気こそが、本来の赤葦の姿なのかも?
「今後、俺達二人で待ち合わせる時には…」
「社寺仏閣…俺も同じこと考えてました。」
微かに緩む、表情。
大人になってから見るようになった、ビジネス用の笑顔仮面とは、全然違う。
笑顔とも言えないぐらい、ただ力みが抜けた自然な和らぎ?かもしれないけれど、
その『自然さ』が、今日の静かな夕焼け空のように、心の一隅を仄かに染めていく。
「赤やオレンジ色に煌々と燃えるだけが、夕焼けではないんですね。」
「あぁ。寂寥感とかの感傷的な雰囲気とも無縁な、ただあるがまま。」
「この時間…嫌いじゃない、です。」
「この空間も、凄ぇ心地いい…な。」
滾るような青春や、燃え上がる情熱とは、対極にあるかもしれないけれど、
この時、この場、この二人には相応しい…
「成仏間近の…涅槃っぽさ?」
「悟りに近付いた…気分か?」
「あのー。俺達、いくつでしたっけ?」
「三百年後も、大して変わんねぇよ。」
何ですか、その…中途半端な長さは。
赤葦は仏像のように口角を少しだけ上げて微笑むと、「では、冥途の土産に…」と、
ポケットから夕焼け色の布を取り出し、くるりと丸めて黒尾の胸ポケットに差し込んだ。
「ポケットチーフ、だったか?」
「ただのハンカチ、なんです。」
本当は、美しくお包みしたものを、贈物として差し上げるべきなんでしょうけど、
いかんせんそういうのに疎く、職場を出る時に上司に言われて初めて思い当った次第で。
慌てて立ち寄った駅ビルで、目についたものをパパっと買って来たので、包装もなく…
「何と、2枚で5%割引!お買得品です。」
「残る1枚は、お前の分か。買い物上手!」
「お褒めに与り、光栄の至りです。」
「いや、こっちこそサンキューな。」
たった1枚のハンカチを添えるだけで、スーツの印象がガラリと変わるとは。
カフェバーでのライブに相応しい、『ちょっとだけオシャレ』を、見事に達成だ。
黒尾は再度「ありがとな、赤葦。」と柔らかく微笑むと、
「それじゃあ俺からも、ちょっとだけオシャレなアイテムを…」と、
赤葦の左手を取り、ポケットから取り出した小箱を、そっと手のひらに乗せた。
「ちょっ、このシチュエーションは…っ」
「ちっ、ちげーよっ!まだ早ぇだろ…っ」
間違えた!早ぇじゃなくて、デケぇ、だ!
左手に装備する輪っか系と言えば、同類項かもしれないが、箱がちょい大きいだろ!
ほら、手首出して、そのままじっとしてろ。ん?人に着けるの、意外と難しいんだな。
「三百年後も、同じ時を生きよう…と?」
「その輪っかは、壮大な…輪廻の方か?」
「黒尾さんのに似てますが…ペアですか?」
「当然!と言いたいが…それも、早ぇか?」
ペアというか、同系の型番違いかもな。ちょうど俺とお前の歳の差ぐらいか?
いやさ、滅多にない機会だし、ちょいオシャレがてら新調しようと思い付いたはいいが、
パッと目についた俺好みのやつを、その場でポンと衝動買い?したせいか、
今してるやつ…昨年買ったのと、デザイン的にはあんま大差なかったんだよ。
とはいえ、ちょい細身?小ぶり?になって、俺には若干似合わねぇし。
「だからこれは、俺の『おさがり』だ。」
「ラッピングもタグもない理由、了解。」
耐衝撃、防水。ソーラー充電。包装紙には包まれてないが、頑丈さは折紙付だ。
カジュアルでもスーツでもイケるし、ジャージ等のスポーツ・アウトドアもバッチリ!
貴金属としての価値より、実用性を重んじる俺とお前の好みにピッタリ、だよな?
お気に入りが無駄にならないよう、お前が貰ってくれると、俺としては助かるんだが…
「良く似合ってる。大事に使えよ~?」
「はい!ありがたく頂戴いたします!」
「保証書は俺んちにあるから、また今度…」
「壊れたら新しいのを買って下さる…と。」
「そう来たか。次はペアで、いいんだろ?」
「当然!と言うのが、模範解答ですよね?」
赤葦は左手を夕闇に翳し、手首を捻ったり手のひらをグーパーしたり、腕ごと回したり。
最後に胸元へ斜めにスっと下ろすと、「黒尾モード、装着完了!」とポーズを決めた。
「こういうの、ずっと憧れてました。」
俺、きょうだいも幼馴染もいないですし、親戚やご近所付き合いもあまりないので、
誰かから『おさがり』を貰った経験が、ほぼ記憶にないんですよ。
(※但し先輩方から教科書等のお譲りは除く)
ですから、普通に贈物を頂くよりも、人生初の『おさがり』を頂けたことが、
自分でも驚くほど、嬉しくてたまりません。ここで変身できそうなレベルですよ。
しかも、前々からカッコイイなぁと思っていた、黒尾さんの…喜びひとしおです。
「宵闇を纏いし漆黒。腹黒二割増量中!!」
「おい。どう見ても『悪の組織』側だぞ。」
「あ、カッコイイと思っていたのは、黒尾さん本体じゃなくて、この装備品です。」
「いつも以上に正直者でカワイイのは、俺の力を分け与えたおかげってことだな。」
「かっ、カワ…っ!?」
「ーーーーっ…っ!?」
いつも通り、何気なく返した一言。
その言葉に、頬がじわり…夕焼け色。
もうすっかり陽は落ちたはず、なのに。
「馬鹿…このタイミングで、照れんな。」
「すみません…俺が一番、驚いてます。」
じわじわと、夕焼け色が黒尾の頬も染めていく。
その淡い変化を見ていられないと、赤葦はギュっと目を閉じて下を向く。
夜の帳と共に、二人の間に落ちそうになる沈黙…それを断つように、
黒尾は赤葦の左手を握って引き寄せ、真ん中の四角いボタンを押した。
ぼんやりと薄緑?水色?に光る盤面。ここに来て、まだ10分しか経ってなかったとは。
「お、そろそろいい頃合いだぞ。行くか?」
「本来の目的、やや忘れかけていました。」
「カッコイイ黒尾さんとの、初デート…三百年後まで忘れんなよ?」
「カっ…ワイイ京治君のエスコート、よろしくお願いします、ね?」
時の光が消える迄の、3秒間だけ。
握った手と手を、そのまま止めて。
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2024/06/25