ぽかぽかお日様も高くなり、沈丁花の香りをまとった風にも、仄かなぬくもりを感じる。 青空に映える優しい白は、白木蓮か辛夷。足元の可憐な白は、鈴蘭水仙。 桜の蕾もかなり膨らみ、ほころぶまであと一週間ぐらい?といった頃。 年末年始&年度末修羅場の死地をどうにかこうにか抜け、確定申告もなんとか終え、 多少の残務はあるものの、ようやく無事に新年度を迎えられそうになってきた黒尾と赤葦は、 昼寝起きからのんびり近所を散歩がてら、ぷらぷら日用品と生鮮食品のお買い物。 新鮮な葉っぱがついたままの朝採れ大根や、鯛のアラ(1パック山盛り250円!)等を購入し、 鼻唄まじりの上機嫌で、夕焼けに染まり始めた街を眺めながら、ゆっくりゆっくり帰宅していた。 「明日朝は大根葉漬と…シラスおろしですね。」 「あら汁もかけて…ねこまんまでシメようぜ。」 「下ごしらえが必要なお料理、久々ですね。」 「そうだな。ぬか漬も順次、再開しようぜ。」 どんなに忙しくても、ご飯だけは炊いていた。いつも通り、ちゃんと精米からスタート。 でも、みそ汁は即席だし、おかずは冷食やお惣菜を盛り直しただけ、漬物は沢庵と梅干のみ。 とりあえず食卓はできていたけれど、包丁をしっかり握ったり、じっくり煮込んだりといった、 二人で台所に並んで立ち、『お料理を愉しむ』なんて贅沢な時間は、さすがにとれなかった。 「あ、お出汁用の昆布、切っとかないと。」 「欠けた御盆も、ボンドで補修しねぇと。」 何の変哲もない、ただの日常会話。 家族にしか伝わらないし、ヨソ様にお見せする必要などまるでない、ごく些細なやりとり。 どうってことない平々凡々な『ケ』が、ようやく戻ってきたことに、なんだか…じわり。 「夕焼け見たのも、久しぶり…だと思わねぇ?」 「黒尾さん自体が、久しぶり…な気がします。」 自宅兼事務所で開業しているため、24時間中22時間ぐらい(直近4カ月平均)は、同じ部屋に居た。 仕事も生活も全て一緒。母親&赤子級のべったりつきっきりと言えなくもない状況だったけれど、 お互いに『日常を共にする最愛の伴侶』と感じる余裕は、正直なところほぼなかった。 それが、家族経営の個人事業主の現実…だが、悪いことばかりでは、勿論ない。 「お前は右腕?腹心?いや…最高の戦友だな。」 「互いに背中を預け合える…最強の戦友です。」 「最高の結婚をしたと、自信満々に誇れるぞ。」 「その言葉を超える称賛は、ありえませんね。」 最も身近で、最も親しく、最も大切な人から、手放しで褒められ、感謝され、必要とされる。 その歓びを思いっきり享受でき(て、当然こちらからも羞恥ぶっ飛ばして捧げ)るのが、 個人事業主&専従者夫婦にとって、最大の幸福…かもしれない。 …いかん、いかん。 蓄積疲労&緊張が抜けたせいか、お外なのに危うく感極まってしまいそうに。 『ケ』に戻って1週間後ぐらいが、風邪引いたり怪我したり、一番危ない時期だ。 余裕ができたからといって、気を緩め過ぎたり、逆に発散(暴発)し過ぎたりしては、本当にマズい。 「刺激なんて、ウチにはあんまいらねぇよな。」 「できるだけ平坦かつ凪な日々を、求めます。」 緩急自在、臨機応変。 刺激や『ハレ』等の、どんな機に臨んだ時も、普段から極力『ケ』の状態を保っていることで、 緩にも急にも冷静かつ柔軟に対応できる…『ケ』がいかに重要かを、常に心しておきたい。 そういう意識?価値観?が、幸運にも一致していることこそが、我が家円満の秘訣かもしれない。 「平穏無事な『ケ』を保つために、日頃から…」 「親しき仲にこそ、礼儀と…惜しみない感謝。」 「要は、普段からちゃんと…ラブラブしとけ?」 「ラブラブなのが、ウチの『ケ』…ですよね?」 「ラブラブの定義は、多種多様だろうがな。」 「そこを曖昧に保つのが、ラブラブの本質。」 身に余るような幸運なんて、いらない。 ドラマチックなイベントも、いらない。 ただ穏やかな日常こそが、幸せの核心。 「ウチに刺激とか、やはりいらないですよね。」 「あぁ。あっても百日に三日ぐらいで十分だ。」 百日に三日。1カ月に1回。ガチャのSSR(一番レアなやつ)排出率3/100と同じぐらい…実に妥当。 ヨソはどうか知らないし、ヨソのことなんてどうだっていい。確変やフェスもウチには不要。 「ウチはウチ!」 「ヨソはヨソ!」 …というのが、ウチが理想とするパートナー像。 歳を重ね、熟年老夫婦になった頃に、どうにか達成できるといいな~という、壮大な目標であり、 少しでも理想的な家庭生活を送れるよう、こうして時折思い返し、努力し続けているところだ。 (つつがない日々を送るには…) (双方の努力が、必要不可欠…) 現実は、百日を大幅に超える修羅場を抜け、何やかんや溜まりに溜まった極限状態。 これ、そろそろ発散させとかないと、バッチバチにマズいヤツ!と二人共が痛感… 横断歩道の途中で信号が点滅し始め、やや小走りになったのをきっかけに、 渡り切ってからも二人は速度を落とさず、いつしか本気走りで自宅まで爆走していた。 「年度末明けっ、運動不足にっ、全力疾走…っ」 「足がっ、腿がっ、息がっ、ゲホッ、ゲホッ…」 玄関前で震える膝に手を付き、肩でゼェゼェ。 呼吸と鼓動と逸るアレコレを鎮め、盛大に浴びまくった花粉を払い落すため、 お互いのジャンパーと背を、やや激しめにドンドンポンポン叩いてから、玄関の中へ飛び込む。 「『ハレ』はいつ来るか、わからねぇ!」 「今日突然やって来ても、自在に対処!」 「たまにクる刺激だからこそ…」 「奥深くまで、グっと刺さる…」 玄関扉が、閉まる音。それとほぼ同時に。 鍵をかけたり、灯りをつけるよりも先に、 お互いに腕を伸ばし、マスクを剥ぎ取る。 「赤葦、あぃ…ってぇぇぇぇぇっ!!!?」 「俺も、あぃ…っっっーーーーっ!!!?」 感謝やら何やらを込めに込めまくった、愛の言葉を絡め合う寸前、それを奪う突然の…激痛。 「なんつー、刺激的な、キス…っ!」 「今、青白い光が、バチっと…っ!」 二人は口元を抑え、涙目で呆然。 春先とはいえ、まだまだ乾燥の季節。さらに、化繊のジャンパーを、手袋で思い切り擦り合った。 唇の先が触れるか触れないかのところで、二人の間で溜め込んだ、強烈な…静電気が走ったのだ。 「刺激があってもいいとは、思ったけども…っ」 「今のはさすがに、刺激が強過ぎましたね…っ」 マヌケな自分達の失態に、頬が緩んでしまう。 目尻にじわり浮かぶのは、痛みのせい…だけ? 照れ隠しに、互いの脇腹を肘で強めツンツン。 「そんなに俺とキスしたかったんですか?この…スケベな俺の旦那様?」 「青白い光って…目ぇ開けてキスとは、俺の奥様は相当ムッツリだな?」 「俺が目を閉じる前にしたのは、そっちです。」 「俺のマスク、紐がちぎれてるのは、何故だ?」 暗く冷たい玄関に、期待に膨らむ温かい桜色の笑顔が、ふんわりとほころぶ。 そしてその温もりは、徐々に熱を帯び…『ハレ』の火を点していく。 二人で並んでお料理は、明日の『ケ』の愉しみとして、大事に取っておけばいい。 目下、最優先すべきウチの重要事項は、この刺激的な熱を冷まさないこと… 「久しぶりな俺自体を、堪能…して貰えるか?」 「ラブラブな『ケ』を、満喫しましょう…ね?」 - 終 - ************************************************** 2024/03/22