『今日は"いい夫婦の日"でしたが…』 TVから聴こえてきた声に、湯呑を下ろす。 そう言えば数年前にも、同じセリフにお箸だかお茶椀だかを置き、夫婦団欒をしたような。 あれから、最低でも365日。おそらく1000日程度は経っているはずだけど。 「俺ら、全っっっ然変わんねぇな。」 「えぇ。まるで変化ありませんね。」 晩御飯のお皿をシンクに下げ、布巾で座卓を丁寧に拭きながら、黒尾さんが微笑んだ。 俺も頬を緩めて同意し、急須にお湯を追加。お茶を入れ直し、柿ピー専用筒を食器棚から出す。 足をだらりと伸ばし、見るともなくTVを眺める。お片付けの前の、食後のまったりお茶タイムだ。 「『いい夫婦』とは… 何がどのように『いい』のだと、思いますか?」 数年前に俺が尋ねたことに、黒尾さんは俺の期待以上の答えを返してくれた。 二人の思い描く『いい』具合が、ほど良く一致。理想通りの夫婦関係を、続けているところだ。 というよりも… 「子どももいない、家族経営の個人事業主…変わりようがありませんよね。」 「波風の立たねぇ、凪の日々…家内安全の見本みてぇな、老後生活だよな。」 特記事項なし。 毎日、日記に書くことが、ほとんどない。数年前から、俺の日記には花や空の写真ばかりだ。 平々凡々で凹凸のない、穏やかな日常生活。これほどまで満たされた日々が、あるだろうか? まぁ、他所のご家庭にはあるかもしれないけど、ウチには全く関係がない。 より正確に言えば、他所のご夫婦がどんな『具合』かなんて、全く興味がない。 他所様の内側にまで世話を焼くのは、余程ヒマ…考えるべきことに相当余裕のある方々か、 ウチみたいな特殊ケース…離婚相談を専門とするオサムライ業ぐらい、かも? 『次はスポーツです。今週末開催される…』 柿ピーのボリボリ音が響く脳内に、アナウンサーの声が少しだけ届いた。 思い出したのは、最近世間を賑わせた(らしい)、他所のご夫婦に関するニュース。 離婚専門の士業者たる黒尾先生は、この話題をどう思ったのか? 下世話を承知の上で…と前置きし、俺にしては珍しく『世間話』を振ってみた。 「メディアの過剰な取材を理由に、離別。そういうお別れの仕方…どう考えますか?」 ボリ。ボリ。ボリボリボリ。 予想通り、黒尾さんのお口からは、柿ピーをいつも以上にゆっくり咀嚼する音。 人肌温になったお茶で綺麗に流し込んでから、予想外(期待通り)の話が始まった。 「別れる…『別』って漢字は、肉を削り取り、頭部を備えた人の骨と、刀の象形だ。」 骨から肉をわけとる、の意。使う道具は、刀? あぁ、そうか。部首『刂』は、りっとう…漢字で書けば『立刀』じゃないか。 お恥ずかしながら、今はじめて気がついた。 「人の肉を、刀で…どんな状況でしょうね。」 「頭部が残ったままな理由も…気になるな。」 この文字について深く考察するには、調査も時間も絶対的に足りない。 とてつもなく大変…痛々しいのが『別』だと、今は大枠で捉えておこう。 元々ひとつだったものを、バラバラに引き裂いてわけるのが、『別』。 それに『扌』…手を加えると『捌く(さばく)』。肉や魚を捌くのは、『別』の字そのまんま。 また『捌』は『八』の大字(だいじ)。金額を漢数字表記する際、改竄防止のために使う多画字体だ。 「『捌』の字が選ばれた理由は、意味が『八』と同じだから…でしたよね?」 「『八つ裂き』…バラバラに別けること。末広がりなんてのは『騙り』だ。」 何度も考察した、八岐大蛇や八咫烏。八千矛神は大国主命の別名だ。 なぜ『八』でなければならなかったのか…八つ墓村も、七や九ではきっと成立し得ないのでは。 (面白い考察テーマ、発見で…ん?八犬伝も?) 大好きな本格ミステリ等と、八岐大蛇の繋がりに思いをはせていると、 黒尾さんは柿ピーを頬張る手を止め、掌を天に向けて翳し…一刀両断、振り下ろした。 「この『捌く』には、もうひとつ意味がある。理非を明らかにして、別けること…」 「理非を明らかに?あっ!さばく…『裁く』!物事をうまく処理する、裁判です!」 古代の裁判では、紛争当事者双方が神獣を捧げていたそうだ。 裁判に負けて穢れた方の神獣は、水に流され消し去られる。その象形が、『法』という漢字。 もしかするとその神獣は、穢れを背負わされて流される前に、『捌』…されていたかもしれない。 「『別』を扱う…『さばく』ことは、とんでもなく重い責任を負う、キツい仕事なんだ。」 「本来は命がけ…文字通りに『身を切る』ような思いをしながら、『別』してますよね。」 ひとつだった夫婦や家庭を、バラバラにするおそれのある物事…不貞や離婚に関して、 世話を焼いたり口を挟んだり、ましてや無関係な人間が口さがなく下世話に…だなんて。 たとえそれが、芸能人やスポーツ選手に関する、世間的な話題だったとしても。 「俺には、恐ろしくて…できねぇよ。」 「理非を別けるには、覚悟が必要…っ」 一体何が『理』で、何が『非』なのか。 判断には、骨と肉を別ける痛みを伴う。 そしてその理非の基準や具合、塩梅は、 人それぞれ…夫婦それぞれ、違うもの。 「職務でも『別』は…怖くてたまんねぇ。」 「他所とウチは『別』…まさに千差万別。」 双方の言い分をフェアに聞かない限り、勝手な妄想(思い込み)で、安易に理非を別けたりしない。 世間一般から見れば正論になりそうなものでも、全世界へ向け軽々しく広言や公言しない。 雑談のはしりに使えども、そこから繋がる考察が主題で、それも…ウチだけの密かな愉しみ。 そもそも、世間で人々がよく口にしている話…『世間一般に』が、『下世話』の本来の意味だ。 理非をわける恐ろしさを自覚しないまま、勝手にさばいて広めるのは、下世話の域…なのか? 「ウチは、下世話なネタは、極力しない。」 「ただし、下ネタは大歓迎、でしたよね?」 「さすが最愛の伴侶。わかっていらっしゃる。」 「下世話と下ネタは、全くの別物ですからね。」 話題と空気をキッパリ別けるように、俺は両手でスッパリ、一刀両断。手を取り合い、立ち上がる。 さっきまでとは別人のような笑顔で、黒尾さんはいそいそ食洗機を仕込み、俺は布団を敷く。 同時に洗面所へ向かって歯を磨き、トイレと水分補給と…あとはもう、明日でいいか。 「いい夫婦の日の翌日は、勤労感謝の日です。」 「お互いに感謝し、のんびり過ごす休日だな。」 寝間着代わりのジャージに着替え、もぞもぞ布団へ入る。部屋の照明も、勢いで消してしまう。 「明日は休日。寝坊してもいいですよ?」 「まだ9時前か。さすがに眠くねぇか?」 「俺は夜更かししても…問題ありませんよ?」 「奇遇だな。俺も…夜更かし、大歓迎だぞ?」 わざと大きく布団をわさわさ動かして、頭から足先まですっぽり潜り込む。 その最中に、わざとらしくお互いの体に接触…少しずつ、しっぽりした雰囲気を、まとわせる。 「おい。掛布団…こっちにも、わけてくれよ。」 「そっちこそ、敷布団…こっち寄りすぎです。」 「ちょい寒ぃな。温もり…わけてやろうか?」 「数秒後には、熱ぃ…って、言いますよね?」 もう何回も、二人で『いい夫婦の日』を共に過ごしている。 かといって、『いい夫婦の日』っぽいコトを、するとなると、その…それは、全く、話が…別! 話どころか、お互い別人?別物?に、ならなきゃムリだけど、それも、べ…別に、悪くない! 俺達だって、いつもいつも、地味でおカタく、真面目で慎ましい夫婦というわけじゃない。 たまには、いつもの自分達から別れるように、(この期に及んでも)勇気を振り絞ることも、ある! (そろそろ、別モノ…別れて、出て来いっ!) 「俺は、貴方の特別な…抱き枕、ですよねっ!?さあ、思う存分、どうぞっ!!」 「ぅぐっ!抱き心地、格別!だが…だっ、抱き付く力、ちょい加減してくれっ!」 「あっ、熱く、なって…きました、から…っ」 「おっ、おう。人肌…わけっこ、するか…っ」 - 終 - ************************************************** ※数年前の『いい夫婦の日』→『加減上手』 No.014 別れる 2023/11/22 ETC小咄