加減上手 ver.2023

   『今日は"いい夫婦の日"でしたが…』


TVから聴こえてきた声に、湯呑を下ろす。
そう言えば数年前にも、同じセリフにお箸だかお茶椀だかを置き、夫婦団欒をしたような。
あれから、最低でも365日。おそらく1000日程度は経っているはずだけど。

「俺ら、全っっっ然変わんねぇな。」
「えぇ。まるで変化ありませんね。」

晩御飯のお皿をシンクに下げ、布巾で座卓を丁寧に拭きながら、黒尾さんが微笑んだ。
俺も頬を緩めて同意し、急須にお湯を追加。お茶を入れ直し、柿ピー専用筒を食器棚から出す。
足をだらりと伸ばし、見るともなくTVを眺める。お片付けの前の、食後のまったりお茶タイムだ。


「『いい夫婦』とは…
  何がどのように『いい』のだと、思いますか?」

数年前に俺が尋ねたことに、黒尾さんは俺の期待以上の答えを返してくれた。
二人の思い描く『いい』具合が、ほど良く一致。理想通りの夫婦関係を、続けているところだ。
というよりも…

「子どももいない、家族経営の個人事業主…変わりようがありませんよね。」
「波風の立たねぇ、凪の日々…家内安全の見本みてぇな、老後生活だよな。」

特記事項なし。
毎日、日記に書くことが、ほとんどない。数年前から、俺の日記には花や空の写真ばかりだ。
平々凡々で凹凸のない、穏やかな日常生活。これほどまで満たされた日々が、あるだろうか?
まぁ、他所のご家庭にはあるかもしれないけど、ウチには全く関係がない。
より正確に言えば、他所のご夫婦がどんな『具合』かなんて、全く興味がない。
他所様の内側にまで世話を焼くのは、余程ヒマ…考えるべきことに相当余裕のある方々か、
ウチみたいな特殊ケース…離婚相談を専門とするオサムライ業ぐらい、かも?


   『次はスポーツです。今週末開催される…』

柿ピーのボリボリ音が響く脳内に、アナウンサーの声が少しだけ届いた。
思い出したのは、最近世間を賑わせた(らしい)、他所のご夫婦に関するニュース。
離婚専門の士業者たる黒尾先生は、この話題をどう思ったのか?
下世話を承知の上で…と前置きし、俺にしては珍しく『世間話』を振ってみた。

「メディアの過剰な取材を理由に、離別。そういうお別れの仕方…どう考えますか?」

ボリ。ボリ。ボリボリボリ。
予想通り、黒尾さんのお口からは、柿ピーをいつも以上にゆっくり咀嚼する音。
人肌温になったお茶で綺麗に流し込んでから、予想外(期待通り)の話が始まった。


「別れる…『別』って漢字は、肉を削り取り、頭部を備えた人の骨と、刀の象形だ。」

骨から肉をわけとる、の意。使う道具は、刀?
あぁ、そうか。部首『刂』は、りっとう…漢字で書けば『立刀』じゃないか。
お恥ずかしながら、今はじめて気がついた。

「人の肉を、刀で…どんな状況でしょうね。」
「頭部が残ったままな理由も…気になるな。」

この文字について深く考察するには、調査も時間も絶対的に足りない。
とてつもなく大変…痛々しいのが『別』だと、今は大枠で捉えておこう。

元々ひとつだったものを、バラバラに引き裂いてわけるのが、『別』。
それに『扌』…手を加えると『捌く(さばく)』。肉や魚を捌くのは、『別』の字そのまんま。
また『捌』は『八』の大字(だいじ)。金額を漢数字表記する際、改竄防止のために使う多画字体だ。

「『捌』の字が選ばれた理由は、意味が『八』と同じだから…でしたよね?」
「『八つ裂き』…バラバラに別けること。末広がりなんてのは『騙り』だ。」

何度も考察した、八岐大蛇や八咫烏。八千矛神は大国主命の別名だ。
なぜ『八』でなければならなかったのか…八つ墓村も、七や九ではきっと成立し得ないのでは。

   (面白い考察テーマ、発見で…ん?八犬伝も?)


大好きな本格ミステリ等と、八岐大蛇の繋がりに思いをはせていると、
黒尾さんは柿ピーを頬張る手を止め、掌を天に向けて翳し…一刀両断、振り下ろした。

「この『捌く』には、もうひとつ意味がある。理非を明らかにして、別けること…」
「理非を明らかに?あっ!さばく…『裁く』!物事をうまく処理する、裁判です!」

古代の裁判では、紛争当事者双方が神獣を捧げていたそうだ。
裁判に負けて穢れた方の神獣は、水に流され消し去られる。その象形が、『法』という漢字。
もしかするとその神獣は、穢れを背負わされて流される前に、『捌』…されていたかもしれない。

「『別』を扱う…『さばく』ことは、とんでもなく重い責任を負う、キツい仕事なんだ。」
「本来は命がけ…文字通りに『身を切る』ような思いをしながら、『別』してますよね。」

ひとつだった夫婦や家庭を、バラバラにするおそれのある物事…不貞や離婚に関して、
世話を焼いたり口を挟んだり、ましてや無関係な人間が口さがなく下世話に…だなんて。
たとえそれが、芸能人やスポーツ選手に関する、世間的な話題だったとしても。

「俺には、恐ろしくて…できねぇよ。」
「理非を別けるには、覚悟が必要…っ」

   一体何が『理』で、何が『非』なのか。
   判断には、骨と肉を別ける痛みを伴う。
   そしてその理非の基準や具合、塩梅は、
   人それぞれ…夫婦それぞれ、違うもの。

「職務でも『別』は…怖くてたまんねぇ。」
「他所とウチは『別』…まさに千差万別。」

双方の言い分をフェアに聞かない限り、勝手な妄想(思い込み)で、安易に理非を別けたりしない。
世間一般から見れば正論になりそうなものでも、全世界へ向け軽々しく広言や公言しない。
雑談のはしりに使えども、そこから繋がる考察が主題で、それも…ウチだけの密かな愉しみ。

そもそも、世間で人々がよく口にしている話…『世間一般に』が、『下世話』の本来の意味だ。
理非をわける恐ろしさを自覚しないまま、勝手にさばいて広めるのは、下世話の域…なのか?

「ウチは、下世話なネタは、極力しない。」
「ただし、下ネタは大歓迎、でしたよね?」

「さすが最愛の伴侶。わかっていらっしゃる。」
「下世話と下ネタは、全くの別物ですからね。」


話題と空気をキッパリ別けるように、俺は両手でスッパリ、一刀両断。手を取り合い、立ち上がる。
さっきまでとは別人のような笑顔で、黒尾さんはいそいそ食洗機を仕込み、俺は布団を敷く。
同時に洗面所へ向かって歯を磨き、トイレと水分補給と…あとはもう、明日でいいか。

「いい夫婦の日の翌日は、勤労感謝の日です。」
「お互いに感謝し、のんびり過ごす休日だな。」

寝間着代わりのジャージに着替え、もぞもぞ布団へ入る。部屋の照明も、勢いで消してしまう。

「明日は休日。寝坊してもいいですよ?」
「まだ9時前か。さすがに眠くねぇか?」

「俺は夜更かししても…問題ありませんよ?」
「奇遇だな。俺も…夜更かし、大歓迎だぞ?」


わざと大きく布団をわさわさ動かして、頭から足先まですっぽり潜り込む。
その最中に、わざとらしくお互いの体に接触…少しずつ、しっぽりした雰囲気を、まとわせる。

「おい。掛布団…こっちにも、わけてくれよ。」
「そっちこそ、敷布団…こっち寄りすぎです。」

「ちょい寒ぃな。温もり…わけてやろうか?」
「数秒後には、熱ぃ…って、言いますよね?」

もう何回も、二人で『いい夫婦の日』を共に過ごしている。
かといって、『いい夫婦の日』っぽいコトを、するとなると、その…それは、全く、話が…別!
話どころか、お互い別人?別物?に、ならなきゃムリだけど、それも、べ…別に、悪くない!
俺達だって、いつもいつも、地味でおカタく、真面目で慎ましい夫婦というわけじゃない。
たまには、いつもの自分達から別れるように、(この期に及んでも)勇気を振り絞ることも、ある!

   (そろそろ、別モノ…別れて、出て来いっ!)


「俺は、貴方の特別な…抱き枕、ですよねっ!?さあ、思う存分、どうぞっ!!」
「ぅぐっ!抱き心地、格別!だが…だっ、抱き付く力、ちょい加減してくれっ!」

「あっ、熱く、なって…きました、から…っ」
「おっ、おう。人肌…わけっこ、するか…っ」




- 終 -




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※数年前の『いい夫婦の日』→『加減上手』

No.014 別れる

2023/11/22 ETC小咄