梟谷グループ合同練習後。 途中まで帰りが一緒だった猫と梟は、いつものように同じ電車に分散して乗り込んだ。 降りる駅が少しだけ遠い梟…赤葦と俺・鷲尾に、猫の黒尾と海が席を譲ってくれて、 赤葦の前に黒尾、俺の前に海が立ち、各々が本を開いたりスマホを眺めたり。 梟谷グループ内の『自分からは話さない(聞く方が得手)派』な4人で、心地良い空間を作っていた。 誰も何もしゃべっていなかったが、数駅過ぎたところで、黒尾が小さく声を上げた。 「…ぅわっ」 「どうした?」 「いや、吊り革んとこが…ヌルってな。」 ずっと荷物棚前の手すりを掴んでいたが、本を持つ手を左右入れ替える際に、吊り革に触れ… どうやらそこが、何かしらでヌルっと滑っていたようだ。うわ、最悪。 汚れた手を宙に浮かせ、どうしたもんかと黒尾が困り顔で苦笑い…した瞬間、下から白いモノ。 黒尾正面の赤葦が、鞄の中に常備している携帯用除菌シートをいつの間にか取り出し、 (しかも、出し口のシールも剥がし、すぐに引き出せる状態で)そっと掲げていたのだ。 「えっと…さっ、さんきゅー、っ」 「いえ。災難でしたね…どうぞ。」 完璧なタイミングかつ、細やかな気配り。 あまりにもスマートなその仕種に、黒尾も海も俺も、揃ってポカン… 海は感心した表情で読書を再開した赤葦を眺め、それを見た俺は何故か、誇らしい気持ちだ。 (どうだ、ウチの参謀…凄いだろ?) 黒尾にチラリと視線を送る。 すると、黒尾は慌てたように赤葦から目を逸らし、いそいそと手を拭いていた。 (…ん?) らしくない黒尾の様子に気付いていない、読書中の赤葦は、そろそろ拭き終わる頃合いかと、 ゴミを回収すべく、片方の手のひらを黒尾に向けて上げたが、数秒経っても何も乗せられない。 おかしいな?と赤葦は本から顔を上げ…目の前(上?)の光景に大きく目を見開き、凝固した。 自分の手を拭き終わった黒尾は、その除菌シートを裏返して畳み直し、 今度は汚れていた吊り革と、その周りの手すりまで、ついでに綺麗に拭いていたのだ。 「…っ!!」 「お前…偉いな!」 思わず、驚きと称賛の声を上げてしまう。 だが、黒尾はキョトン。不思議そうに首を横に傾げ、至って普通の表情で返答した。 「次に掴む人も、汚れたら嫌だろ。」 いやいや。それは、そうなんだが… 俺だったら自分の手を拭くことしか考えないし、何なら吊り革を汚した奴に悪態を吐いただろう。 そこまでしなくとも、テンションはガタ落ち…とても『他の人』のことまで気は回らないし、 吊り革とその周辺まで拭こうなんて、絶対に思わない…万が一思っても、やらない可能性が高い。 正面を見上げると、どうだ、ウチの将…凄いだろ?と言わんばかりの、海の表情。 黒尾への尊敬だけじゃなくて、何故か自分が誇らしく思う気持ち…めちゃくちゃわかるぞ。 海と目を合わせて、コッソリ視線だけで微笑みを交わしていると、 斜め上…黒尾から躊躇いがちな声が、真横に降ってきた。 「いいのか?汚れちまったけど…」 「ぜっ、全然、構いません…っ。」 下を向いたまま、ずずいと手を差し出す赤葦。 その手のひらに、小さく丸めたゴミをやや震える指先で黒尾がそっと乗せると、 赤葦は鞄のサイドポケット(外出時臨時ゴミ箱)に受け取ったゴミを入れ、眼前に本を大きく開いた。 顔に近すぎる本は…逆さま。 (…んんん?) わざとらしく広告へと視線を逸らせる、黒尾。 必死に本で顔を隠し呼吸を整え続ける、赤葦。 あまりにもらしくない、赤い頬に…ニッコリ。 「惚れた…な。」 「今…まさに。」 - 終 - *********** No.010 惚れる 2023/10/18 ETC小咄