猫梟合宿~大浴場~

「ぷっはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~っ!
   染み渡るぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~~っ!」


梟谷グループの合宿は、毎回参加各校の合宿所へお邪魔する、持ち回り制だ。
一番落ち着くのは、もちろん我が家こと音駒。飯がやたら美味く便が良いのは、梟谷。
そして、都会の喧騒から隔絶され、空気(星空)の澄んだ森然。
俺が一番気に入ってるのは、この森然。中でも、大浴場がもう…最っっっ高~!

とにかく広い。平均よりかなり大柄な俺が、端に頭を乗せて四肢を大きく広げて浮かんでも、
浴槽の淵にも誰にも当たらない…独占!こんな贅沢は、早朝の貸切温泉ぐらいしかできねぇだろ?
しかも、お湯もなんか柔らけぇし、森然高校の森にみたいな、ほのかな森林の香り?もするし、
湯上りのお冷も絶品、ひんやりした山風に当たりながら、星空を見上げて夕涼み…リゾートだ。

ハードな合宿(通常業務)、輪をかけてハードな追加自主練、オマケに中間管理職としての残務。
それらを片付け、ようやく最後の最後に大浴場へ辿り着いた頃には、俺以外の誰も居ない。
それを狙って、森然では嬉々としてのんびり残業…大浴場独占は、最高の御褒美だ。

一日の疲れを洗い流し、いざ!お湯の中へ。
全身が浸かり、伸ばした手足の隅々まで、ほどよい熱がじわ~っと包み込んでいく瞬間。
思わず滲み出す歓喜の溜息を腹の底から響かせ、温もりに身をゆだねる幸せたるや。

「今日もがんばって、よかったぁぁぁぁ~っ」


「気持ちはよ~~~っく、わかりますが…
   物凄くオッサン臭い…お疲れ様です。」

ちょうど『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~』のタイミングだったらしく、気付かなかった。
俺だけの大浴場に、まさかの侵入者。いや、まさかなんかじゃなくて、こいつしかいねぇ。

「今日はいつも以上に、大変だったみてぇだな~
   赤葦も、お疲れさんだな~」

指先だけをちょんちょんと上げて、労いの挨拶。
ありがとうございます、と律儀に返事をくれてから、椅子と洗面器を置く音が響く。

「お風呂の独占中に…俺、お邪魔でしたね。」
「いや、お前は全然…邪魔にはなんねぇよ。」

俺のことはお気になさらず、オッサンを続けて下さいませ、とシャンプー交じりにボソっ。
そして、泡をシャワーで流す音に紛れ込ませるように、『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~』の声。
文字にすれば同じだが、俺とは別のオッサンっぽい溜息が、隠しようもなく漏れ聞こえてきた。


「…おつかれさん。背中、流してやろうか?」
「そういうセリフが…まさにオッサンです。」

何も返さず、ただ…大あくび。のんびり湯に浸かり、心地良い沈黙を味わう。
赤葦はシャリシャリしたタオルで、これでもかというくらいボディソープをモコモコ泡立ててから、
その泡だけを手に取って、マッサージするようにゆっくりゆっくり体を解し始めた。
ほどなく、ぽそりぽそり…鏡越しに遠慮がちな視線を寄越しながら、口を開いた。

「黒尾さんは、今…何を考えてますか?」
「ん-?お前の洗い方、何かのプレイみたい…」
「おケイです。御指名ありがとうございますー」
「はい、オッサンですみませんでした。」

泡が弾ける音と、頬が緩む音。
泡と一緒に何かを吹き飛ばす、暴風溜息を思い切り吐き出してから、一転。
赤葦はわざと浴場中に響かせるように、いつもより明るい声で話し始めた。


「俺、お風呂に入ると…胃が痛くなるんです。」

就寝前にお風呂に入ると、今日一日の出来事を反芻…大反省会です。
あの時こうしたのは失策だった。明日以降、どうすれば良いだろうか。あ、そういえばあれは…等、
お風呂は独りで思索に耽る最高の場ではありますけど、逆に延々と考え込んでしまう難点も。

「我ながら、厄介な習性です。」

ここでこんな風に考え込んだって、意味ない。せっかくのリフレッシュタイムが台無し。
そうわかっているから、必死に深呼吸を繰り返してはみるものの、いつの間にかまた悶々。
性格的に、最悪を含めあらゆるパターンを想定してしまうので、大体どん詰まり…
胃痛で気持ち悪くなって、フラフラになりながらお風呂を出るのが、常態化しています。

だから、これは冗談でも何でもなく、真剣かつ深刻なお願い?相談?なんですが…

「どうやったら、そんな風に気持ちよく、
  『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~』ってお風呂に入れるのか、ぜひ教えて頂けませんか?」

本気で困ったような、半ば諦めたような。
ほんのり苦笑いしながら、赤葦は軽く両手を合わせてペコリと頭を下げた。

予想だにしなかった、赤葦からの真剣なお願い。しかも冗談抜きに深刻で、緊急性も高い大問題。
何よりも、赤葦ほどのやつから『相談』を受けたことに、衝撃と共に妙な感激…
片付け中の赤葦に気付かれないよう、コッソリ緊張の息を飲み込み、少し横にずれた。

「俺で役に立てるかどうか、わかんねぇが…」


ちょいちょいと、さっきより大きく、掌でお湯を跳ねる。
ここに、同じように寝てみろ…という意思を、赤葦は正確かつ素直に受け止め、
「お隣、失礼します。」と静かに湯に入り、畳んだタオルを枕にし、恐る恐る手足を伸ばした。

「あの、この格好、意外と…っ」
「難しいだろ?熟練の技だぞ~」

   まずは、何も考えず…
   さっきのセリフ、一緒に復唱!せーのっ!!

「「ぷっはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~っ!」」
「「染み渡るぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~~っ!」」


赤葦の気持ち、すっっっっっげーわかる。
俺も気ぃ抜いたら、全く同じコース…脳どころかアタマ全体に血が回っちまう、悶々ドツボだよ。
風呂に入る方が疲れちまう。どうやったら脳味噌マッサラにできるかを、悶々考え続け…悪循環。

「何も考えねぇのって、すっげぇ難しいよな。」
「本来は修行の果てに得る、無我の境地です。」

確かに、風呂場は独りでじっくり考えられる、絶好の場所ではあるが、
その『独り』が行き過ぎて、自分の頭ん『ナカ』に嵌り込んじまう。それを避けるために…

「まずは、大声でお湯の気持ちよさに歓喜!
   この『オッサン』が、切替スイッチだ。」

自分の『ナカ』に悶々と籠ってしまうなら、何とか『ソト』に出る方法を試してみるんだ。
目を閉じて、視点を…『ウエ』に。幽体離脱したみたいに、風呂場の天井付近から見下ろす。
んで、そこから見える景色を、ただ淡々と思い浮かべる…観察だけするんだ。

「大きな、石っぽい…タイル床?壁はたしか、乳白色でしたっけ?」
「天井は…多分、白か?でっかい換気扇が、窓際にあったような?」

洗い場には、水栓とシャワーと鏡が6セット。隅に薄緑色の椅子と洗面器が10個ほど重ねてある。
リンスインシャンプーと、ボディソープの特大サイズボトル。これも森の香りっぽいやつ。
10cmくらいの段差になった、浴槽の淵。床と同じタイル貼で、横は6m以上は優にあるよな。
奥行きも2.5mぐらいか?合宿所っつーより、温泉とかスパみてぇな、ゆったりサイズだよな~

そこに手足を伸ばして浮かぶ、黒尾鉄朗と赤葦京治。健康優良な体育会系男子高校生。
全身の力を抜いて横たわる、難易度最高ヨガ『死者のポーズ』で、ぷか~り、ぷか~り…


「ザ運動部!といわんばかりの、均整の取れた、惚れ惚れする美しい筋肉。」
「寝癖のない濡れた髪は、オールバックに。随分と雰囲気が違いますよね。」

「意外と、イイオトコだろ?」
「今は裸眼なので、何とも。」

「心の目で、じっくり見てくれよ。」
「色眼鏡も、掛けときましょうか?」

服着てる時にはあまり目立つ方じゃないが、赤葦もしっかり体育会系の肉体美。
油断も隙も無駄もない、実に赤葦らしいカラダ。室内競技だから日焼けもなく、スベスベ肌に…

「お、左の内股と右腰に、ホクロがあるな。」
「な、何でそんな、俺の裸体を熟知して!?
   …なんて、言うとでも思いましたか?」

「とか言いつつ、そっと鼠径部を手で覆う…」
「っ…この、助平オヤジ!」

「違う。今の俺はオヤジではなく…オッサン。」
「失礼しました。助平は万人共通…でしたね。」

ばしゃばしゃとお湯を掛け合い、しょーもない掛け合いで笑い合う。
さすがに浮いていられなくなり、座ってのんびり天井を見上げ、ゆっくり、ゆ~っくり…深呼吸。


「つまり、俺の言いたかったことってのは…」
「天井から自分を観察…『客観視』ですね?」

自分の『ナカ』に悶々と籠り、堂々巡りを繰り返さないために、
自分の状況を『ソト』から冷静に観察…より広い視野を持つため、『ウエ』から俯瞰してみる。

「あー、また俺、考えすぎてんな~」
「眉間に皺。歯も食い縛ってます。」

性格や思考癖は、そう易々とは変えらんねぇ。無我の境地…悟りを開くなんて、とてもとても。
力を抜いて浮くのだって、本当に難しい。リラックスって、思うほど簡単じゃないよな。

   だとしたら、せめて…
   考えすぎな自分に、自分で気付くこと。
   気付いて、思考のループを一旦止めて、
   しょーもない妄想に、挑戦して遊ぼう。
   例えば、そう…こんなことを。


「10年後の俺と赤葦…どんなカンジだろうな?」
「10年後?普通に仕事?仕事仕事仕事仕事…っ」

きっと黒尾さんは、今と変わらず面倒事を自ら進んで背負い込み、月間残業100時間超コース。
普段は全然そんな顔は見せないけど、お風呂でコッソリ眉間の皺を伸ばし、胃を擦ってますね。
対する俺は、名探偵(推理作家)の助手(担当編集)として、難事件解決に奔走する日々…を夢見つつ、
面倒臭い誰かに振り回され、疲労困憊。ユーキューキューカって古代フェニキア語ですか?と。

そんな黒尾鉄朗と赤葦京治が、もし万が一、10年後も仕事上の繋がり?等で、
今と同じように、袖すり合うような関係だったとしたら?と、しょーもなく妄想してみると…

   『『ぷっはぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~っ!』』
   『『染み渡るぅぅぅぅぅぅぅ~~~~っ!』』

「お風呂じゃなくて、おビール浴びてますね。」
「毎週金曜の晩か?妄想リアルすぎだろっ!!」

笑えねぇ~!泣きたくなります~!と言いつつ、二人は盛大に噴き出して大笑い。
深呼吸を通り越しぜぇぜぇ肩で息をし始めて、ようやくのぼせ上っていることに気付き、
フラつく足をお互いに支え合いながら、涼風を求めて大浴場から外に出た。


「10年後も、多分きっと…
   こうやって酔い覚まし、してそうですよね?」
「10年後の、その時には…
   シメのラーメン食って、土日爆睡コースな?」

10年後にもこうして、二人で同じ時間を共有している可能性なんて、ごく低いだろう。
でも、もしも、そんな日が来るとしたら…

「その時のために、今のうちに言っておきます。
   黒尾さん…ご馳走様です~」

   これから毎晩、お風呂に入った時は…
   二人でどこに、何を食べに行くか?を
   舌なめずりしつつ考えることにします。


満面の笑みで両手を合わせ、深々とお辞儀。
さっきとはまるで違う…今まで見たことのない、森然の星空のように澄み切った、赤葦の笑顔。
黒尾は慌てて湯上りのお冷を飲み干し、星に向かってぼそりと呟いた。

「飲みの翌朝、俺の背中を流してくれるなら…
   シメのラーメンだけは、奢ってやるよ。」




- 終 -




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2024/03/08