安全退策

「お願い黒尾さん!俺と一緒に…逃げて!」
「何だ、またかよ…」


黒尾さーん、第3会議室に御客様ですよ~と、のほほんとした声が事務所内に響いた。
そののほほ~ん具合で、所内の誰もが『御客様』を察し、俺以外の全員が揃ってのほほ~ん。
苦笑いしながら席を立つと、方々から菓子やジュース、ティッシュ箱を手渡され…
最後に上司から渡された『直帰』マグネットを、予定表に張り付けてから、会議室へ向かった。

ノックもせず、大きく扉と腕を開いて仁王立ち。
その直後、ドン!という衝撃と共に、胸元にじんわりあったかい…鼻水と涙の染み。
あーぁ、このネクタイ、結構気に入ってたのに。

「また〆切ぶち抜きか?ったく、毎度毎度…」
「助けて黒尾さぁぁぁんっ!鬼が、来るっ!」

「どう考えたって、宇内先生が悪いだろ。」
「まだ俺、何も事情を説明してない…」
「先生が絶対に不可能なことを、赤葦がやらせるわけないからな。よって、先生が悪い。」
「ぐぬぬぬぬぬっ…っ、その、通り、です…っ」


日本バレー界の未来のために!と、頻繁にコラボするようになった、協会と漫画家・宇内先生。
鬼こと宇内先生の担当編集者・赤葦が、黒尾と旧知の仲だったこともあり、
コラボ事業の協会側窓口の任を受けた黒尾は、毎週末に宇内先生宅で打合せ&直帰…
だが、その実態が三人の息抜き(宅飲み)だと、とっくの昔に協会内の全員に知られていた。

「さすがに、俺を甘やかし過ぎじゃ…?」と、黒尾は上司に恐る恐る尋ねてみたが、
返ってきた答えは「お前じゃない。宇内先生を甘やかしてるんだ。」という、ロクでもないもの。
鬼が聞いたら卒倒しそうだが、それが事業推進等の最善策だと諭され、訝しがりつつも承服。

どうやら協会は、宇内先生を全力で甘やかし、可愛がる気満々らしいのだが、
それを敏感に嗅ぎ付けた先生は、事ある毎に協会へ逃げ込み、黒尾に泣きつくようになっていた。


「つーか、何でいつも、俺んとこに…」
「だって、世界一安全な場所だもん。」
「俺を盾にする先生は安全かもしれねぇが、矢面に立つのは…」

先生と一緒に逃げるのも、盾になってやるのも、俺は別に構わねぇよ。
でも先生が逃げた代わりに『矢面に立つ』のは、盾になった俺じゃなくて…赤葦だろ?
出版社、印刷会社、書店、アニメ制作会社、コラボ先の各種企業、イベント団体、そして読者様方。
それらからの批判や叱咤、激怒罵詈雑言誹謗中傷を全て受けるのは、先生じゃなくて赤葦だ。

ただでさえ、責任感の強ぇ奴なんだ。これ以上、心労をかけないでやってくれ。
鬼神の如く厳しい奴ってことも、熟知してる。逃げたくなる気持ちも、よ~っくわかる。でも…
あんなに頑張ってる奴を、悲しませたくねぇ。嫌われちまったら、俺は容赦なく消される。

「赤葦だけは、絶対に敵に回したくねぇよ。」

一緒に謝ってやるから、さっさと帰ろうぜ~
そう言いながら、よっこいせ!と黒尾は宇内先生を軽々と肩に担ぎ上げた。
ヤダヤダヤダ~~~!!!と、毎度のようにダダこねて泣き喚くかと思いきや、
宇内先生はキョトン顔、そしてニッコリ笑って断言した。

「あ、それは絶対、だ~い、じょ~ぶっ!」

全然そうは見えないけどさ、あの鬼が唯一、尊敬?畏怖?脅威?敬愛?
そういうリスペクト的なやつを感じてるのって、黒尾さんだけだもん。
俺を含め他の誰を抹消したとしても、黒尾さんを敵に回すようなことだけは、絶対にしない…
ましてや黒尾さんを嫌うなんてこと、ぜ~ったいに有り得ないからね~!

「だから、ココが世界一安全…って、
   急に立ち止まってどうしたの?重かった?」
「ど…どうもしねぇよっ!むしろもっと食え!」

黒尾は米俵のように宇内先生を肩に担ぎ直すと、両脚をガッチリ掴んで、お尻ペンペン。
ヤダヤダヤダ!を無視して会議室から飛び出し、猛然と廊下を突っ切った。


「プチ逃亡…牛丼食ったら、帰って仕事!」
「えぇ~っ、どうせお肉なら…」
「んで、仕事がちゃんと片付いたら、
   今週末、赤葦と三人で…焼肉行こうぜ?」
「やったぁっ!ホント、黒尾さんって赤葦さんにだけは甘い…痛ぁっ!?お尻、つねらないでっ!」



***



「…よかったね。」
「っ!?は、はい。これで、仕事が…」
「お詫びのネクタイ、本人に渡してやって?
   …焼肉代と一緒に。」
「!!あ、ありがとう、ございます…っ」




- 終 -




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No.011 逃げる

2023/10/30 ETC小咄