「見たまんま、何もない所ですが…どうぞ。」 「おじゃ…?ただい…ぁ?ここ、俺んちか?」 小料理屋でしこたま食べた後。 ギリギリ終電には間に合う時間だったが、二人共それには気付かぬフリ。 ぷらぷら夜風で酔いを醒ましながら、地下鉄入口をスルーし、のんびり月見散歩。 途中のコンビニでおにぎりを3つずつ購入し、30分ほど歩いて赤葦の住むアパートに到着した。 初めて来たはずの、赤葦の部屋。 だが玄関扉をくぐり、部屋の中を見た瞬間、黒尾は思わず首をかしげてしまった。 勿論、黒尾の部屋ではないことは確か。でも、自分の部屋に見えたのも、また確か。 「今の質問に返すべきは…心中お察しします。」 「寝に帰るだけの場所…似た者同士極まれり。」 7.5畳ほどのフローリングの上に、最奥の窓際から6畳分の白いカーペット。 隣室との壁際に、高さ1m弱の本棚が2列。その上にノートパソコン。テレビはない。 隅に座卓と、白い座椅子。洗濯機、冷蔵庫、電子レンジに電気ケトル…以上。 「備品は収納スペースに入るだけ、だよな?」 「床面積フル活用。合理的寝床を追求です!」 仕事仕事仕事。出張遠征に、週末は宇内家泊。 自室でのんびりだなんて、二人の生活にはほとんど存在しない。四肢を伸ばして寝られれば充分。 ならば、やや大柄な体が、平均サイズの寝具から堂々とはみ出して寝ても問題ないように、 部屋を丸ごと『寝床』として利用…6畳分の『ゆったりお布団』にしてしまおうという策だ。 「押入からズルズル布団出して、即寝られる!」 「真四角に掃除すれば良し!手間なし楽チン!」 「多少の間取りは違えど、ココはほぼ俺んち!」 「薄々そうじゃないかと、思っていましたよ!」 「お前となら、今すぐ一緒に生活できそうだ。」 「既に、週末は宇内家客間で共同生活中です。」 あぁ、なるほど。 緊急アシスタントさんが休憩したり、週末の打合せ&宅飲み後に泊まる宇内先生宅の客間は、 おそらく赤葦が整えたもの…赤葦好みの部屋になって然るべし。ココと雰囲気がソックリだ。 疲れと酔いのせいだけじゃなくて、黒尾家にもよく似ているから、やけに居心地が良いのだろう。 「週末の爆睡&週明け好調の理由…納得だ。」 「まるで自室…熟睡&休息できますからね。」 「さすが赤葦。あらためて、さんきゅーな。」 「偶然ですけど、快く受け取っておきます。」 思わず、ハイタッチを…いや、ご近所迷惑だ。 その代わり、黒尾は両掌で何かを掬う?ように、両サイドにスススと上げて、何かの器?の仕種。 赤葦はそこに、何の迷いもなく上から両掌を被せて…ピッタリ蓋を綴じた。 「割れ鍋、ですね?」 「ナイス、綴じ蓋!」 思った通りのものが、手の上に。 黒尾は何だか無性に嬉しくなり、ふわりと頬を緩めてもう一度、さんきゅーな…と赤葦に言った。 すると赤葦は、大きく目を見開いて固まり、クルリ…黒尾に背を向け、いそいそと押入を開けた。 そして鍋の上に大小のふわふわを乗せ、廊下奥へ顔ごと向けたまま、再度上から蓋をした。 「バスタオルとタオル…お風呂お先にどうぞっ」 「お、おう…?エンリョなく、いただくぜ??」 グイグイと黒尾の背を押し、洗面脱衣所へ。 部屋に戻って布団を引き摺り出しながら、赤葦はぽそぽそと呟いた。 「前置きなく、あのふわふわは…反則、ですっ」 ***** 「んー、あと10分以内に、落ちそう…だ。」 「狭く、ない…ですね。毎週末通りです。」 入れ代わりにお湯を浴び部屋に戻ってくると、1組しかない布団の上で既に黒尾はうつらうつら。 赤葦が布団に近付くと、黒尾は無意識のうちに半身を傾けてスペースを開け、 いつものように赤葦を抱き込んで自分の下へ…ではなく、向かい合うように抱いて横向き寝。 (…?珍しい、ですね。) 週末は『黒尾の抱き枕』として寝るのが、赤葦にとってすっかり『普通』になっていたが、 こんな風に…普通に?抱き締められて寝るのは、これが初めてかもしれない。 (何か、変な…カンジ。) 常識的に考えると、抱き枕にされて寝るのが普通だなんて、有り得ない話だろう。 だが俺達は、高校時代から旧知の仲どころか、ほぼ毎週末のように梟谷グループで合同合宿… 黒尾さんの特殊寝相のことも、猫梟相部屋で何度も実際に抱き枕にされ、身体が覚えていた。 それに、この傍迷惑な寝相の巻き添えを喰らっても、普通に熟睡できたのは俺だけだったから、 (残業後、最後に部屋へ戻るのが俺達だったこともあり)、黒尾さんの隣が定位置だった…ような? (週末共同生活も、共寝?も…『普通』だ。) そもそも、『普通』って…何? 他所様に御迷惑をおかけしないのならば 心地良さを優先しても、いいじゃないか 自分達のキモチを、一番大切にするのは 凄く『普通』のこと…自然じゃないのか いつもの抱き枕とはちょっと違う、いわゆる普通?の共寝スタイルかもしれない。 それでも、絶対的安心感?抜群の包容力?あったかい人肌?に全身を包まれて眠るのは、 心地良い以外の何物でもない…安眠&熟睡がいかに貴重かは、歳を重ねるほど身に沁みている。 今日なんて特に、最高だ。 黒尾さんの手が、背中の筋肉を伸ばすように、やや強めに上下に擦り続けてくれている。 強張った表面だけじゃなくて、鍋の底に溜まったアレコレも全部、大きな手が解してゆく… (キモチ、良い。これぞ…幸せ?) 瞼が下りるのと同調するように、ごく自然に手を伸ばし、黒尾さんの背へ…回そうとした瞬間。 全く予想だにしなかった小さく震える言葉が、耳朶付近に直接当てられた。 「今日は…ゴメンな。」 「…ぇ?」 まるで意味の解らない、謝罪。 その真意を問おうと、胸元に埋めた顔を上げようとするも、さらに強く抱き込まれてしまう。 しばらく黙って待っていると、意を決して大きく息を吸い込み、背中を静かにぽんぽん。 そして、ぽつぽつ…ごく小さな声を、黒尾さんは俺の脳内に響かせた。 「赤葦の話、巧く聞いてやれず…ゴメン。」 本当は、鍋が割れる限界寸前まで、なんやかんや溜め込んでたんだろ? 週末の3人宅飲みで、一週間分のアレコレを発散してたのに、今週に限ってそれがナシに… だから、お前にしてはごく珍しく、事前のアポもなく突発的に、俺をサシ飲みに誘ったんだ。 多分、お前自身が一番、自分の『咄嗟の行動』に戸惑ったはずだ。 付き合いも長ぇし、似た者同士だから、俺にはすぐにそれがわかった。 それと同時に、自分ではどうしようもねぇギリギリのピンチに、思わず俺に縋ってくれたこと… 他の誰でもなく、この俺を頼ってくれたことが、嬉しくてたまらなかったよ。 「お前に『そんなつもり』は、なかった。 そんなことは、勿論わかっている。」 赤葦は俺に、問題の解決や助言を求めているわけじゃない。 もしそれが必要で、俺が尽力できるものなら、事前にその旨を伝え、相談しているだろうからな。 だが今回は、言葉で説明できるようなやつじゃなくて、赤葦自身もよくわからないもの… どう解消していいのか?そもそも何なのか?正体の掴めないモヤモヤが、ずっと滞留してたんだ。 学生時代のレベルならまだしも、社会人になってからは…独りじゃ到底、全部は抑えきれねぇ。 蓋を取ったり、火を弱めたり、適宜抜かないとマズいんだが、それもそんなに簡単じゃねぇもんな。 「正直、俺自身… どうしたらいいのか、未だよくわかんねぇ。」 美味い飯を食いながら、ゆっくり話を聞いて。 解決にはならなくとも、その楽しい時間が少しでも赤葦の慰めになればいい。そう思っていたが… 「美味い飯と、他愛ないお喋り。二人でのんびりする時間が心地良過ぎて…浸っちまった。」 結果、お前の『蓋』を取ってやれず、何も聞いてやれないまま、瞼が閉じかけてるよ。 それに、たとえ聞いていたとしても、ちゃんとお前を慰めてやれていたかは、甚だあやしい… 気の利いたことも言えず、ただ背中を撫でて寝るぐらいしか、できなかったと思う。 「頼りにならねぇ奴で、ゴメ…んなっ!?」 三度目の『ゴメン』を、赤葦は言わせなかった。 腕をぐっと伸ばし、思いっきり黒尾を抱き返すと、かなり強めの力でごしごし背を撫でた。 「『慰める』って…凄く難しいですよね。」 俺を上手く慰められなかったと落ち込む黒尾さんを、巧く慰める方法…俺にもさっぱりです。 どんな言葉をかけたらいいか、皆目見当もつかないし、それが目下最大の悩みになりかけてました。 結局、同じように黒尾さんをムギュっとして、なでなでして…気持ちよさに寝落ち寸前です。 「実は、俺が今日悩んでいたのも… 全く同じことなんですよ。」 煮詰まって、どん底に沈み込んだ宇内さんを、どうやって慰めていいかわからず…自己嫌悪。 どんな時でも先生をフォローすることが、担当編集者の責務だというのに、 何もできない自分の不甲斐なさが赦せず、それ以上に申し訳なくて…逃げてしまったんです。 苦しんでいる宇内さんを放置して、逃げた俺ばっかりが美味しいもの食べて気持ちよく寝て。 申し訳なさはむしろ倍増した気もしますが、それを補って尚余りある『大収穫』がありました。 「昔読んだ本の内容を、3つ思い出しました。」 「本…?」 まず一つ目は、漢字の語源に関するもの。 『慰める』という字の上部は、火熨斗(ひのし)… 炭火を中に入れて火であたため、布地のしわを伸ばす道具を、手で持った象形だそうです。 縮んだ心を、手のぬくもりであたためて伸ばし、緩めて和らげること… 「黒尾さんが今まさに俺にして下さってる『背中なでなで』こそが、『慰める』の大正解です。」 「そうだったのか!全然知らなかったが、赤葦の『背中なでなで』で…今まさに、納得だ!」 偶然の大正解に驚き、そして…ふわり。 安堵の溜息と共に表情を和らげた黒尾に、赤葦も頬を緩めて…ふわり。 互いに見慣れない顔に…そわり。顔が見えなくなるまで距離を縮め、なでなでと話を再開させた。 「二つ目は、『見つめる鍋』に絡むもの… 承認欲求に関連する話です。」 人間には、自分の身体を落ち着ける自宅のような場所が、当然ながら必要です。 しかし、それとは別に、自分の存在が無条件に肯定される場も、同じように必要なんだそうです。 その場所は自宅じゃなく、誰かと共に居る場所…だからこそ、自分の存在を肯定してもらえます。 「仕事絡みも、先輩後輩も、無関係。ただ、しょーもない話を、ぐだぐだ…ダベるだけ。」 「何を言っても笑い合える、週末の宅飲み。俺達にとって、かけがえのない…居場所だ。」 数秒前まで、ミッチリと仕事の打合せ。 それが終わって、お疲れ様!と労い合った瞬間から、気のおけない呑み友達へ。 一緒に居て心地良い。互いの存在をそのまんま受け入れ、認め合う。 一方的ではなく双方向。損得勘定とも無縁。本当の意味で『承認欲求』を満たし合える…居場所。 「いつの間にか、そんな大切な場所が…」 「繋がり合える場が、できてたんだな…」 ほんのちょっとだけ、照れ臭い。 でも、それを素直に認め合えるぐらいには、お互い歳を取った…オトナになった。 高校時代とは違う『繋がり』のカタチを確かめ合うように、背を柔らかく…ぽんぽん。 「最後の三つ目は、悩んだ時の鉄則です。 …ちゃんと食べて、しっかり寝ること!」 栄養を補給し、それを隅々まで行き渡らせる。 食事と睡眠の両方が揃ってはじめて、問題解決にあたる下準備が整います。 「あんなに悶々としていたのに、美味しいものを食べて、心地良〜く寝たら…?」 「起きてスッキリ!脳に血液も回り、タスクフォーカス可能…猫梟、同時達成!」 空腹の時と、睡眠不足の時には、どんどん思考が鈍って暗く堕ちてゆくのが、自然の摂理です。 悩みや相談として、あらたまって聞いて貰わなくても…無理に言葉にして話さなくても、 一緒に美味しいご飯を食べるだけ、ゴロゴロ寝るだけで、ほとんど消え失せました。 「食事と睡眠を、おろそかにしないこと。」 「自分を愛して慰める、最良の方法だな。」 互いの背を撫でる手が、緩やかに… ぬくもりにいっぱい満たされて、瞼も脳も、全てがふわふわとゆるんでくる。 「結果的に、良い一日…だった、な。。。」 「はい…最高に、良い…一日でした。。。」 あぁ、もう、眠くてたまらない。 気持ち良く満たされて…幸せだ。 おやすみなさいまで、あと3秒。 二人はもう一度だけ背中を撫で合い、ひとつ約束を交わし、瞳を閉じた。 「起きたら、一緒に、宇内さんの家へ…」 「お鍋セット買って、呑みに行こうぜ…」 - 終 - *********** No.013 慰める 2023/11/11