「それじゃぁ、行ってくるから。」
「はい、行ってらっしゃいませ。」
今日は黒尾さんだけ、外回りのお仕事。
どちらか一方のみが出掛ける時には、必ずお留守番側が玄関先にお見送りに出る。
黒尾さんと二人で一緒に暮らし始めてから、もう何年も何年も経つが、
この『行ってらっしゃいの儀』は、一度たりとも欠かしたことがない。
本日の健闘を祈り、背中をぽんぽん
その手を下ろしながら背と腰を擦り
最後に、尻ポケットを、さわさわ…
お財布とハンカチ、オッケーです!
「悪ぃ。台所も洗濯物も、途中のままだ。」
「いえ。半分こ…ありがとうございます。」
そんなこと、気にしなくていいのに。
それでも、この一言があるかないかで、大きく違う。夫婦円満の、まんまる具合が。
ズボンの前ポケットに、自分の腰骨で触れながら…スマホと鍵も、ちゃんと入ってます!
ほんの少しだけ、かかとを浮かせて
髪型は…論外。耳掃除、問題なし!
ネクタイの緩みを正し、目を閉じる
(闘魂、チュウ入…)
あ、いえ、注入だなんて…そんなそんな。
毎度玄関先で『大騒ぎ』できるほど、肝も据わってないし、ほやほや新婚さんでもない。
せいぜい、そっと触れる程度…この適度な具合が、まんまるをほど良く満たしてくれる。
(我が家の方は、お任せ下さいね。)
お留守番の方にも、充填完了。
仕事の内業も、家事も、お昼寝も。あなたの分まで、俺が頑張っておきますから!
最後に、緩み切った頬に手を当てて、軽くペシペシ。気分の切替、仕事モード・オン!
「玄関の鍵、お願いしてもいいか?」
「勿論です。お気をつけて下さい。」
ひらひらと手を振って、送り出す。
玄関扉が閉まり、外階段を下りる足音が聞こえなくなるまで待ってから、
極力音を立てないよう、ちょっぴり息を止めつつ、ゆっくり慎重に玄関扉の鍵を回す。
鍵をかける音を響かせてしまったら、何だか『締め出した』みたいに、聞こえるから。
(そういうの、何か…ヤだ。)
これにて、行ってらっしゃいの儀、完了。
(一緒にお出掛けする時も、玄関扉を閉めるまではほぼ同じ『出発の儀』を慣行。)
本日も、良き日となるよう
お互い無理せず、適宜過ごせますように
「さて、と。こちらも、いざ…出陣!」
玄関と廊下の電気を消し、居間へ戻る。
台所へ向かうと、朝食で使った食器は、半分だけ食洗機の中に設置済だった。
俺がお昼を食べた後、追加で入れてから、食洗機上段に湯呑やお玉を入れやすいように、
それらはあえて入れないまま、シンクのすみっこに、まとめて置いてあった。
(理に適った、実に賢い…途中具合。)
食洗機の入口扉には、肉球型マグネット
『まだ途中です』を表す、我が家のサイン
可愛いだけじゃなくて、便利で使える!
ウチの『猫の手』は、デキる子ですから
当然ながら、俺が外に出る側だった時も、全く同じようにするけれど、
自分でするのと、誰かにして頂くのとでは、感動がまるで違う。
してもらって『当たり前』など、共同生活にはあり得ない。全て『ありがたい』こと。
お醤油にわさびを溶いてくれるのも、梅干食べたら種用のティッシュ出してくれるのも、
全部嬉しくてたまらないし、感謝の気持ちが自然と言葉になって溢れてくる。
(幸せは、日々、家庭内に在り。)
…いかん、いかん。
ついうっかり、思い出しデレデレしてしまって、手がおろそかに。家事に戻ろう。
居間の隅、TV台の脇に置いてあった、茶色いプラスチック製の洗濯かご。
それを、ほかほかカーペットの真ん中まで持って来て、豪快にひっくり返す。
昨日ぽかぽかお日様に当てて(深夜帰宅。そのまま放置して)いた、畳む前の洗濯物を、
黒尾さんが連結ハンガーやピンチハンガーから外して、入れておいてくれたものだ。
ピンチから外し、物干器具達を大型トートに入れて納戸に収納するのだって、結構大変。
洗濯物を取り込んだ後の作業工程を分割すると、そこそこのウェイトを占めるはず。
半分までとはいかないものの、この『途中』まで終わっていると、随分助かる。
「さすが、デキる旦那様は違…ぅ、ん??」
適度にあったまったカーペットに座り、一番の大物・黒尾さんのジーンズを手に取る。
そこですぐ、俺は『違い』に気付き…洗濯物の山の中に、顔からボスン!と突っ伏した。
「あーーーもうっ!ホンットーーーにっ!」
あまり色落ちや日焼けで褪せてほしくない、アウターや濃い色の下着シャツなどは、
裏返しにして干すのが、いつの間にか何となく決まっていた、我が家の緩めな習慣。
干し終わったら、それをちゃんと表側に戻してから畳み、衣装ケースにしまうのだが、
ぽかぽかの上に広げた洗濯物は、全て『表』に返してあったのだ。
(ま…参り、ましたっ)
俺だったら…いつもなら、ハンガーから外す『途中』で、とりあえず満足してしまう。
そこまででも『途中具合』としては、十分ありがたい『合格点』なのに。
今日はいつもよりもうちょっとだけ、時間に余裕があったのだろうか、
『もうちょっと』とはとても言えない、心のゆとり…大きな優しさに、感服の至り。
(こういうとこが、かなわない…っ!)
洗濯物畳みを完遂していないという点では、『途中』であることには変わりない。
だが、この『途中具合』の違いは、俺の手間を劇的に減らし、喜びを爆増させてくれる。
ほんのちょっと、もうちょっと…これを事も無げにサっとやってのけるのが、
ウチの旦那様の凄いとこであり、世界一デキる最高の伴侶たる、紛れもない証拠だ。
(※個人的な感想です)
「はぁ~~~、俺、宇宙一、幸せ者…っ」
ぽかぽかの床にあっためられて、ほっぺも脳味噌も、ほわっほわ。
二人の洗濯物からは、同じ洗剤と、同じお日様の香りしかしないし、
夫婦生活が長くなってきた分、黒尾さんの匂いも、もう俺には判別不可能。
それでも、二人分の洗濯物に包まれて、思いっきり深呼吸…
我が家の香りを胸いっぱいに吸込むと、自分の中の全てが、幸せ色に満たされてくる。
(本日も、良き日…既に確定~~~っ!)
いつもより、ほんのきもちだけ、ピッチリ丁寧に皺を伸ばして。
デレデレに緩んだ頬も、両手でしっかりバシバシ!頭と心も、ビッチリ引き締める。
仕事着のジャージに着替えてから、足取り軽く1階の職場へと降りて行く。
「よしっ!今日も一日、頑張ろうっ!!」
- 終 -
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2025/01/10